Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

財務省職員の遺書と手記を読んで(4)

2020年04月12日 | 身辺雑記
 新型コロナで鬱陶しい毎日が続いている。演奏会は軒並み中止になり、展覧会も中止または開催延期になったが、それらの文化活動に止まらず、多くの国が事実上の鎖国状態になり、さらには都市封鎖まで起きている。我が国では外出自粛に止まっているが、現役世代はそれでも通勤を続けざるを得ず、リタイア組は(わたしもその一員だが)家にこもっている(それもストレスがたまる)。

 そんな抑うつ状態にあって、「いま起きていることは何だろう」と考えることがある。今まで享受してきたビジネスモデルや生活様式への根本的な問いかけが含まれているように感じるが、その実体がつかめない。

 そんなことを考えている矢先に、妻の友人から妻にメールが来た。福島県在住のその人は「こもっていますか? 大震災のときに似ていると、福島の人たちは言っています」と書いてきた。わたしは目から鱗が落ちる思いだった。目に見えない放射性廃棄物に脅かされた状況といまの状況と、たしかに似ているかもしれない。福島の人たちがあのとき経験したことを、いま日本中で、いや世界中で経験しているのかもしれない。

 そういう状況にあっては、一人の男の死など押し流されてしまいかねないが、それはよくないという気持ちがある。一人の男の死はいまの大きな状況と等価だ。そう思いながら週刊文春の今週号を読んだ。

 今週号では2018年10月28日に亡き赤木俊夫さんの奥さまのもとを訪れた財務省秘書課長と近畿財務局人事課長の会話記録が載っている(奥さまは会話を録音していた)。前後の文脈は同誌を読んでほしいが、核心部分を抜き出すと、財務省秘書課長はこう言った。「安倍さんがああやって『関知してたら辞めてやる』っておっしゃったのが2月17日なんですけれど、あれでまぁ炎上してしまって。で、理財局に『あれ出せ、これ出せ』っていうのもワーっと増えているので、そういう意味では関係があったとは思います。」と。わかりにくいかもしれないが、「関係があった」とは安倍首相の例の答弁と文書の改ざんとが、だ。

 本省の課長が地方財務局の職員の遺族を訪れるのは異例なことだ。それだけその職員の自死を重大視していたわけだが、おそらく真の目的は、奥さまの出方を探ることだったのではないか。現にそのとき赤木さんの遺した「手記」が話題にのぼり、訪問した二人は奥さまが「手記」を公表する考えはないという感触を得た。二人の訪問の目的は果たせたのだ。

 それはともかく、上記の秘書課長の発言は、わたしたちの認識と一致する。一致しないのは安倍首相の認識だ。それが国民の間に亀裂を生んでいる。
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