大野和士が新国立劇場のオペラ部門の芸術監督を引き受けるのは、もう少し先だと思っていた。なので、今回のニュースには驚いた。多くの方々が喜びの声を上げているので、今更屋上屋を重ねるまでもないのだが、大野和士にエールを送りたいので、一言だけ仲間に入れてほしい。
わたしが一番嬉しいのは、大野和士がまさに働き盛りの時期に、日本のポストを引き受けてくれることだ。大野和士には他のオファーもあったろう。自分のキャリアのためにはヨーロッパの劇場やオーケストラのほうが有益だったかもしれない。でも、日本のポストを引き受けた。それは自分のためというよりも、自分が生まれ育ったこの国のためだろう。あえていえば、この国にいるわたしたちのためではないだろうか。
この点が偉大なる先輩と違う点だ。その先輩は世界の頂点を極めた。才能だけではなく、努力も、人脈もあったろう。その先輩が働き盛りの時期を過ごしたのはボストンだった。ボストンの人々のために仕事に打ち込んだ。
音楽家とはそういうものだと、その姿を見て思った。音楽家は土地に根付く。その先輩はボストンに根付いた。大野和士は東京を選んだ。これは新しい時代の到来だと思った。その先輩は常々「日本人の自分が世界でどこまで通用するか、これは実験だ」と言っていた。大野和士にはそんな気負いはない。世代が変わったのだ。
新国立劇場のオペラ部門は(こう言ってはなんだが)2代続けて低調な時代が続いた。危険水域まで来た。その時期に大野和士が引き受けた。この劇場の低迷ぶり、そして世界的なステータスの低さを承知の上での決断だったと思う。
もちろん、大野和士一人が頑張っても、どうなるものでもないだろう。途方もない妥協が必要なときがあるかもしれない。オペラ人口の層の薄さ、官僚の関与、芸術監督というポストが持つ権限‥。でも、そんなことはすべて承知の上だろう。
そういう大野和士を、わたしも支えたい。大野和士を支える一人に加わりたい。みんなで支えようではないかと、柄にもなく呼びかけたいと思う。
なお、今回の人事では、演劇部門の芸術監督に小川絵梨子が選ばれた。これにも驚いた。新国立劇場で演出した「OPUS/作品」と「星ノ数ホド」はわたしも観た(翻訳を担当した「ウィンズロウ・ボーイ」も観た)。でも、まさか芸術監督になるとは思っていなかった。どんなことをやるのか、まったく未知数。興味津々、見守りたい。
わたしが一番嬉しいのは、大野和士がまさに働き盛りの時期に、日本のポストを引き受けてくれることだ。大野和士には他のオファーもあったろう。自分のキャリアのためにはヨーロッパの劇場やオーケストラのほうが有益だったかもしれない。でも、日本のポストを引き受けた。それは自分のためというよりも、自分が生まれ育ったこの国のためだろう。あえていえば、この国にいるわたしたちのためではないだろうか。
この点が偉大なる先輩と違う点だ。その先輩は世界の頂点を極めた。才能だけではなく、努力も、人脈もあったろう。その先輩が働き盛りの時期を過ごしたのはボストンだった。ボストンの人々のために仕事に打ち込んだ。
音楽家とはそういうものだと、その姿を見て思った。音楽家は土地に根付く。その先輩はボストンに根付いた。大野和士は東京を選んだ。これは新しい時代の到来だと思った。その先輩は常々「日本人の自分が世界でどこまで通用するか、これは実験だ」と言っていた。大野和士にはそんな気負いはない。世代が変わったのだ。
新国立劇場のオペラ部門は(こう言ってはなんだが)2代続けて低調な時代が続いた。危険水域まで来た。その時期に大野和士が引き受けた。この劇場の低迷ぶり、そして世界的なステータスの低さを承知の上での決断だったと思う。
もちろん、大野和士一人が頑張っても、どうなるものでもないだろう。途方もない妥協が必要なときがあるかもしれない。オペラ人口の層の薄さ、官僚の関与、芸術監督というポストが持つ権限‥。でも、そんなことはすべて承知の上だろう。
そういう大野和士を、わたしも支えたい。大野和士を支える一人に加わりたい。みんなで支えようではないかと、柄にもなく呼びかけたいと思う。
なお、今回の人事では、演劇部門の芸術監督に小川絵梨子が選ばれた。これにも驚いた。新国立劇場で演出した「OPUS/作品」と「星ノ数ホド」はわたしも観た(翻訳を担当した「ウィンズロウ・ボーイ」も観た)。でも、まさか芸術監督になるとは思っていなかった。どんなことをやるのか、まったく未知数。興味津々、見守りたい。