Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

アシュケナージ/N響

2016年06月19日 | 音楽
 アシュケナージ指揮N響のCプロ。なんといっても、リヒャルト・シュトラウスのオーボエ協奏曲を吹いたフランソワ・ルルーが圧倒的だった。

 1945年に作曲されたこの協奏曲は、わたしは今まで、戦争が終わって、ともかくホッとしたシュトラウスの心境を反映した曲だと思っていた。でも、そんな生易しい曲ではないのかもしれない‥と、この演奏を聴いて思った。

 第1楽章が雄弁極まりない演奏だった。平穏な、ちょっとロココ的な演奏ではなく、あえて言えば、室内オペラのような演奏。プリマドンナはもちろんオーボエ。独奏オーボエがオーケストラを相手に語り続ける。シュトラウスは「カプリッチョ」(1940~41年)を最後に、オペラはもう書かなかったが、オペラを断念したわけではなく、オペラ的な書法がこの曲に引き継がれ、そして1947年のクラリネットとファゴットのための二重協奏曲に結び付く‥と、そんな線が見えた。

 第2楽章の最後では、オーボエのモノローグと、その背後で鳴るホルンとの他には、すべての楽器が黙し、音楽がほとんど止まりそうになる瞬間に、1948年の「四つの最後の歌」の、とりわけ「夕映えの中で」の最後のフレーズ「これが死というものだろうか」を連想した。これはそれを先取りした音楽か‥。

 ともかく、第1楽章では翻弄され、第2楽章の最後ではうっとりとその音に聴き入った。今まで何度も聴いた曲だが、これは桁違いの演奏だった。5月の読響の定期でエマニュエル・パユが吹くハチャトリアンのフルート協奏曲に度肝を抜かれ、またアンコールで演奏された武満徹の「エア」を今でも鮮やかに記憶しているが、それに匹敵する演奏を、1か月しか経たないうちにまた聴いてしまった。

 パユにしても、ルルーにしても、楽器をマスターするということはこういうことかと、目を開かされるというか、実感から言うと、びっくり仰天した。楽器が自分の体と一体化している。しかもその体の持つエネルギーが凄い。

 さらに嬉しい出来事があった。アンコールにグルックの「精霊の踊り」が演奏されたのだが、そのときピアノが持ち出され、アシュケナージが弾いた。会場にどよめきが起きた。ピアノを弾くときのアシュケナージは千両役者だ。ルルーも敬意を表していた。

 なお、当日のプログラムは、1曲目がシュトラウスの「ドン・ファン」、3曲目がブラームスの交響曲第3番だった。
(2016.6.18.NHKホール)
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