Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

灰色のバスがやってきた

2016年06月17日 | 身辺雑記
 ドイツのジャーナリストで作家のフランツ・ルツィウスが書いた「灰色のバスがやってきた」(山下公子訳、草思社)を読んだ。ナチス・ドイツの障害者への「安楽死」の事実を描いた本だ。

 場所はドイツ中部のエッセンの郊外にある障害者施設フランツ・サーレス・ハウス。実在の施設だ。身体障害者および精神障害者の教育・養護施設で、運営主体はカトリック教会。

 その施設から、1940~43年の間に、787名が他の施設に移送された。移送とは‘死’を意味する。ガス殺、あるいは注射による薬殺。本書の中ではガス殺と薬殺のどちらが効率的かで、ナチスの高官や医師らの間で議論があったことが描かれる。お互いのプライドや権力闘争があるので、どちらも引かない。リアルなエピソードだ。

 フランツ・サーレス・ハウスの職員たちは抵抗する。所長のシュルテ=ペルクム、主任医師のへーゲマン、事務補助員のカスタイ、そして多くのシスターたち。カトリック教会も動く。でも、結局はナチスの行動を止められなかった。多くの障害者たちが殺された。中には生体実験に供された人もいる。背筋が寒くなるような話だ。

 本書はノンフィクション・ノヴェルのスタイルで書かれている。事実関係の調査に基づく著作ではあるが、そこに前述の事務補助員カスタイと恋人ドリスとの恋のエピソードや、司祭ヴォルパースの‘死’の施設への潜入のエピソードなどが盛り込まれる。不器用な恋の成り行きに胸を痛め、危険な潜入にハラハラする。あえて誤解を恐れずにいえば、映画を観ているように面白い。不謹慎な言い方で申し訳ないが‥。

 本書がドイツで刊行されたのは1987年、日本語訳が出たのは1991年。ドイツでの刊行後、時を経ずに日本語訳が出たことになる。以来かれこれ四半世紀の間、ずっと読み継がれている。

 障害者「安楽死」政策は‘T4作戦’と呼ばれ、本部はベルリンの中心部にあった。今ではその場所にベルリン・フィルの本拠地‘フィルハーモニー’が建っている。付近の路上にはプレートが立っている。わたしも見た記憶がある。でも、正直にいうと、それが何を意味するのかは知らないでいた。恥ずかしいかぎりだ。

 ユダヤ人、障害者、さらにはロマ、同性愛者、ホームレス、アルコール中毒者、政治的敵対者、その他社会の異分子にたいする不寛容と迫害は、ファシズムの根幹にある。今の日本の不寛容にその芽がないかどうか、少し心配だ。
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