Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ザルツブルク(4):ピエール=ロラン・エマール

2015年08月17日 | 音楽
 ピエール=ロラン・エマールとタマラ・ステファノヴィチによるブーレーズのピアノ作品演奏会。1曲目は最初期の「12のノタシオン」(1945年)。ブーレーズは後に5曲をオーケストレーションしている。オーケストレーションの過程で作品は長くなった。原曲のピアノ曲はウェーベルン流に短い。エマールの演奏はものすごい集中力。激しく挑みかかるような演奏だった。

 この曲もそうだが、その後の曲も、演奏の前にエマールまたはステファノヴィチの短い解説が付いた。レクチャー・コンサートのような趣向だった。

 2曲目は「ピアノ・ソナタ第1番」(1946年)。エマールの唸り声が聴こえる。気迫みなぎる演奏だ。でも、曲としてはどうだろう。曲の面白さよりも、演奏の面白さで聴いてしまった気がする。

 3曲目は「ピアノ・ソナタ第2番」(1946‐48年)。なんといってもこの曲がお目当てだったが、登場したのは、エマールではなく、ステファノヴィチだった。えっと思った。正直いって、テンションが下がった。

 ステファノヴィチは美貌の女性ピアニストだ。流麗な演奏で音も美しい。最初は聴きやすかった。でも、おとなしすぎた。だんだん気持ちが離れていった。ベートーヴェンの「ハンマークラヴィーア・ソナタ」を念頭に置いて書かれたこの曲だが、ベートーヴェンとの格闘の痕跡が見えてこなかった。

 休憩後は「ピアノ・ソナタ第3番」(1955‐57年)。未完の作品だが、もうすっかり現在の形で落ち着いている。演奏順はフォルマン3~フォルマン2だった。演奏はエマール。CDで聴いているとあまり面白いとも思えないこの曲が、ものすごく面白く聴こえた。部分、部分、あるいは瞬間、瞬間のドラマというか、瞬間的に選択されていく音楽の、思いがけないドラマに息を呑んだ。

 次は「アンシーズ」(1994/2001年)。演奏はステファノヴィチ。よく流れる演奏だが、エマールと違って尖ったところがない。次に「天体暦の1ページ」(2005年)。昔のブーレーズの面影はない。演奏はエマール。

 最後は2台のピアノによる「ストリュクチュールⅡ」(1956‐61年)。エマールとステファノヴィチがお互いにキューを出しながら演奏を進める。エマールが出したキューをステファノヴィチが無視したり、ステファノヴィチの選択にエマールが「おっ、そうくるか」と反応したり!
(2015.8.8.モーツァルテウム大ホール)
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