Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ラザレフ/日本フィル

2015年03月21日 | 音楽
 ショスタコーヴィチ2曲というプログラム。普通ならお客さんの入りが悪そうなプログラムだが、その割には入っていた。ラザレフへの評価の高まりのゆえだろう。

 1曲目はピアノ協奏曲第2番。ショスタコーヴィチが息子のマキシムのために書いた曲だ。親ばかぶりが窺える曲。人間ショスタコーヴィチの素顔が出た曲だ。微笑ましいと言えば微笑ましいが、さて、曲としては――と思っていた。

 でも、面白かった。演奏がよかった。ピアノ独奏のイワン・ルージンは1982年生まれの若手だ。テクニックはもちろん、音楽性も豊かだ。音もクリアー。第2楽章がショパンのように聴こえた。演奏がそうだったから、ということもあるが、若いころにショパン・コンクールに出場したことがあるショスタコーヴィチなので(優勝はオボーリン)、ショパンのように書いたという面もあるかもしれない(若いころのスクリャービンのように)。

 アンコールが演奏された。プロコフィエフのピアノ・ソナタ第7番の第3楽章。速射砲のように間断なく音が撃ちこまれる曲だ。さては、ルージン、あのピアノ協奏曲では物足りなかったかと、内心笑ってしまった。

 2曲目は交響曲第11番「1905年」。日本フィルを聴いている者には想い出深い曲だ。ラザレフの日本フィル初登場のときの曲。当時の日本フィルから緊張の極みの音を引き出した。忘れられない。人生の中で何度出会えるかという演奏だった。

 あれは2003年3月だった。今から12年前だ。12年!もうそんなに――と、信じられない思いだ。つい昨日のように鮮明に覚えている。壮絶な演奏だった。1905年の第一次ロシア革命のときの凄惨な弾圧を追体験するような思いだった。

 さすがに今回の演奏には12年前のような緊張は薄れていた。その代わりに音の厚みと弾力性のあるアンサンブルがあった。聴こえるか聴こえないかの張りつめた弱音から、ホールを揺るがす大音量まで、驚くべきダイナミック・レンジの幅があった。豪快さと繊細さが共存する演奏だった。個別の奏者では、トランペット、ホルン、イングリッシュホルンの妙技があった。

 千葉潤氏のプログラムノートを読んで初めて気が付いたが、ピアノ協奏曲第2番と交響曲第11番「1905年」は同年の作だ(1957年)。そういえば作品番号も前者が102番、後者が103番だ。まったく性格の異なる両作品だが――。
(2015.3.20.サントリーホール)
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