Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ハイティンク/ベルリン・フィル

2015年03月13日 | 音楽
 翌日はベルリンに移動して、ベルリン・フィルの定期を聴いた。指揮はハイティンク。プログラムはオール・ベートーヴェン・プロだった。

 1曲目はヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリン独奏のイザベル・ファウストは、CDはいくつか聴いたことがあるが、生では初めてだ。意外に小柄だ。化粧気もあまりない。気さくな感じで、スター然としていない。

 演奏が始まると、さすがに名手だ。音楽が大きい。楽器がよく鳴る。感心して聴いているうちに、第1楽章カデンツァになった。いつものカデンツァとは違う。そのうちティンパニが入ってきた。そうか、あれかと思った。この曲のピアノ協奏曲への編曲版のピアノ・パートをヴァイオリン用に書き換えたものだ。面白かった。第3楽章にも聴きなれない音型が出てきた。

 アンコールが演奏された。弱音器付きの、なにか囁くような曲だった。だれの、なんという曲だろう。演奏会終了後、どこかに貼り紙があるかと探してみたが、見つからなかった。そんな習慣はないようだ。

 なお、第1楽章が終わったときに、お客さん同士でトラブルがあった。なにがあったかは分からないが、1階正面の前方席だったので、かなり目立った。イザベル・ファウストは心配そうに見守り、ハイティンクも振り返っていた。こういうとき、ドイツ人とは面白いもので、周囲の何人かから声が出た。日本人なら黙っているような気がする。

 2曲目は交響曲第6番「田園」。明るい音だ。ゴージャスな音。たとえていえば、高級乗用車の乗り心地のようなものだ。どんな道でも揺れずに安定走行する。見事なものだ。でも、正直にいうと、そんな自動車に乗っているときの、少し眠くなるような感じがあった。

 その反面、強拍がはっきり出る拍節感があった。真綿のようにゴージャスな音に包まれてはいるが、強拍によって前へ前へと進む推進力があった。持って生まれたDNAのような感じがした。カラヤン時代はおろか、さらに遡る時代から脈々と続いている伝統ではないかと思った。

 こういってはなんだが、ハイティンクの指揮は、なにもしていないように見えた。でも、そんなDNA/伝統は、今まで他の指揮者で聴いたときには感じなかった。ハイティンクがベルリン・フィルから引き出したのではないか。ハイティンクは、長いキャリアの末、オーケストラに潜む潜在的なDNA/伝統を引き出すタイプの名匠になったと思う。
(2015.3.5.フィルハーモニー)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする