Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

2014年の回顧

2014年12月29日 | 音楽
 2014年は第一次世界大戦の勃発から100年の記念年だった。でも、そのことを意識せずに過ごしていた。ところが、11月の日本フィル横浜定期で劇的に思い出した。

 同定期ではラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」が演奏された。ピアノ独奏は舘野泉だった。体調が悪かったのだろう。痛々しい演奏だった。でも、技術を超えて、人間の生き様としての‘演奏行為’があった。その顔は紅潮していた。

 そのとき、突然、第一次世界大戦を思い出した。同曲は第一次世界大戦で右手を失ったヴィトゲンシュタインのために書かれた。その悲劇と、そこからの復活が込められている――ということが、知識としてではなく、生々しい傷口として蘇ってきた。

 もし演奏が完璧だったら(まったく無傷だったら)、そんなことは考えなかったろう。演奏がいいとか、悪いとか、あそこがよかったとか、そんな聴き方で終わっていただろう。でも、舘野泉の(その日の)痛々しい演奏で、かえって音楽を超えた‘人類の記憶’が胸に迫った。

 指揮はインキネンだった。いうまでもないが、インキネンと舘野泉は、フィンランド語で打ち合わせをしただろう。その一事をとっても、舘野泉の歩んできた道のりが感じられた。万全なコンディションではなかったが、インキネンは、舘野泉のフィンランドのピアノ音楽への貢献を十分認識しているだろう。温かい尊重の念がステージマナーから感じられた。

 閑話休題。今年の大きな収穫の一つは、三輪眞弘(1958‐)という作曲家を知ったことだ。シュトックハウゼンの「歴年」洋楽版の演奏会のときに、同氏の新作「59049年カウンター」が初演された。その衝撃はシュトックハウゼン以上だった。恐ろしい近未来映画を見るようだった。いや、実感に即していうなら、制御不能に陥った炉心を見るようだった。

 演劇では畑澤聖悟(1964‐)の「親の顔が見たい」という衝撃的な芝居に出会った(新国立劇場演劇研修所の試演会)。都内のある女子中学校で、いじめを苦にした自殺事件が起きる。学校に召集された親たち。親たちはいじめがあったという現実を見ようとしない。自殺した生徒の痛みを感じない。親の顔が見たいというその‘親の顔’(=現代の世相)を見せる芝居だった。わたしは言葉を失った。でも、正直にいうと、そういう親たちをかばうような結末には、違和感をおぼえた。

 では、皆さん、よいお年をお迎えください。
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