Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

大野和士/都響

2014年12月10日 | 音楽
 来年4月に音楽監督に就任予定の大野和士が振る都響の定期。いやが上にも期待が高まる。

 1曲目はバルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」。昔よく聴いた曲だが、最近はいつ聴いたか。ちょっと思い出せない。少しご無沙汰した。久しぶりに聴くこの曲は、ずいぶん懐かしかった。でも、正直にいうと、一種の戸惑いがあった。この曲のどこに、アクチュアリティというか、自分が今この曲を聴く意味(または今という時代にたいする意味)を見出したらいいのか。その糸口をつかみ損ねた。

 なぜかは分からない。でも、「青ひげ公の城」や「中国の不思議な役人」(ともに不条理な要素をもつ曲だ)が今でも面白いのに、「弦チェレ」には距離感があった。もしかするとこの曲、あるいは「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」や弦楽四重奏曲第5番といった同時期の作品は、‘古典’への移行期に入っているのかもしれない。

 演奏はきちんと整ったフォルムを持つものだった。モダニズムからは遠く、(いうまでもないが)バーバリズムからも遠い。正統的な、格調高い演奏。でも、もう一つ精彩がなかった。生き生きした表情に欠けていた。

 2曲目はフランツ・シュミットの交響曲第4番。これは名演だった。曲にたいする共感に裏打ちされた演奏だった。甘美な陶酔にも事欠かず、また悲劇的なトーンにも事欠かなかった。この曲のすべてを語り尽くした演奏だった。

 大野和士の美質は、正攻法のアプローチと、(曲にたいする)深い共感にあるのだと思った。思えばそのことは、デビュー当時からのものだ。そのような美質が今も生きているのだ。

 あえていえば、フランツ・シュミットのこの曲では、‘第1部’のクライマックスの最強奏のときに、音が立体感を失った。もう少し余裕を持って鳴らしてほしかった。

 これら2曲はいずれも20世紀の歴史と深くかかわっている。交響曲第4番は1932~33年の作曲。ヒトラーが政権を取るまさにその時期だ。ドイツはもちろん、ウィーンでも緊張が高まっていただろう。悲劇的なトーンの背景にはそういう時代が感じられる。

 いうまでもないが、バルトークはナチスと厳しく対峙していた。「弦チェレ」が作曲された1936年はナチスが猛威を振るっていた時期だ。もっとも、そういう時代背景は、今回の演奏には感じられなかったが。
(2014.12.9.サントリーホール)
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