Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ルトスワフスキ生誕100年

2013年01月19日 | 音楽
 少し休みが取れそうなので、1~2月のベルリンのオペラとコンサートの予定を調べていたら、ルトスワフスキの「管弦楽のための協奏曲」が二つのオーケストラで相前後して演奏されることを知った。1月にはクシシュトフ・ウルバンスキ指揮ベルリン・ドイツ響、2月にはマンフレッド・ホーネック指揮ベルリン・フィル。たまたま重なったのかなと思ったが、ふっと気が付いた。今年はルトスワフスキの生誕100年だからだ。そういえばエサ=ペッカ・サロネン指揮フィルハーモニア管の来日公演でも交響曲第4番が組み込まれているな、と思い出した。

 それ以来ルトスワフスキの作品を聴いている。先週~今週にかけての3連休では13日(日)は一日中家にいられたので、気合を入れて、作曲順に主要作品を聴いた。さすがに夜になったらグッタリ疲れたが。

 インターネットを検索してみたら、1993年に京都賞を受賞したときの記念講演が見つかった。ルトスワフスキがどのような人生を送ってきたのか(=どのような時代を生きてきたのか)が語られるとともに、音楽にたいする基本的な姿勢が語られていた。

http://emuseum.kyotoprize.org/sites/default/files/WitoldLutoslawski_doc_lct_j.pdf

 ルトスワフスキの人生は、ポーランドの歴史――第一次世界大戦、ロシア革命、第二次世界大戦、ナチス・ドイツによる占領、ソ連による支配、「連帯」の民主化運動――と切っても切り離せないことがわかった。ルトスワフスキはそれらの歴史に主体的に関わった。そういう人生と作品とは、直接的な関係はないかもしれないが、まったくないと言いきると、なにか大事なものが抜け落ちる気がした。

 たとえば最初期の作品、2台のピアノのためのパガニーニ変奏曲。これはナチス・ドイツの占領下で唯一音楽を演奏できる場所であったカフェで、パヌフニク(この人も作曲家だ)と連弾するために書いた曲だそうだ。そういう歴史があったのか――と、この曲にたいする見方が変わった。

http://www.youtube.com/watch?v=iFsvmq-C9Kk

 音楽にたいする姿勢は真摯そのものだ。「誰のために作曲するのか」という問いを設定して、「私は私自身のために作曲する」という答えを出していた。だれかを喜ばせよう、あるいはひとから評価されよう、と思うことは、他人にたいしても、結局は不誠実なことだとしている。自分自身のために作曲することによって、同じような嗜好、同じような願いをもっている人の、その嗜好や願いを満たすことができるはずだとしている。社会主義リアリズムの圧力に屈しなかったルトスワフスキの姿が見える気がした。
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