Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

大野和士/読響

2013年01月10日 | 音楽
 大野和士さんが読響を振るのは、なんと22年ぶりだそうだ。22年もたてば楽員の大半は入れ替わっている。初顔合わせのようなものだ。どちらも高度なプロ同士、どのような結果が出るかと興味津々だった。

 1曲目は小山実稚恵さんをソリストに迎えたラフマニノフのピアノ協奏曲第3番。小山さんの弾くこの曲は、もう何回聴いたことか。冒頭の主題の小さな声で呟くような弾き方はすっかり覚えてしまった。

 今まで小山さんのこの曲の演奏に不満をもったことはないが、今回は物足りなさを感じた。粘りがないのだ。大野さんのバックが粘りのある表現だったので、とくにそう感じたのかもしれない。第3楽章はリズムがはっきりとした音楽なので、物足りなさは払しょくされたが。

 余談になるが、先日ラフマニノフ自身が弾くCDを聴いた。バックはオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団、1940年の録音だ。驚いた。がっちり構築された、男性的な演奏だった。ゴツゴツした、と形容したくなるような演奏。ラフマニノフがイメージしていた演奏はこうだったのかと、目からウロコだった。その後、今日に至る演奏伝統は、第3楽章はともかく、第1楽章と第2楽章は、そうとうかけ離れたものになった。

 2曲目はリヒャルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」。冒頭の夜明けの部分でワーグナーの「ラインの黄金」の幕開けを思い出した。なにか途轍もないものが蠢いている感覚が似ていた。今までこんなことを感じたことはない。大野さんの演奏に長大な時間の感覚があったからだと、今にして思う。

 アーチ型に構成されたこの曲の頂点の部分――山の頂上に登りつめた部分――の持続力がすごかった。途方もないパワーに満ちた音響が持続した。気が遠くなるほど長く感じられた。いつもは最後の部分――下山して里に帰りついた部分――に音楽的な濃さを感じるのだが、今回は、頂点はあくまでも中央にある、ということを認識した。

 大野さんは今年53歳、その個性が確立されてきたことを感じる。今回の「アルプス交響曲」もその典型だが、壮大な壁画のような演奏――スケールが大きくて、どっしりとし、揺らぐことのない演奏――、しかも、声のないオペラといってもいいくらいに、ドラマのある演奏、そのドラマが滑らかな口調で雄弁に語られる演奏だ。

 少しでっぷりしてきた体形も、ヨーロッパで一家を成すにはむしろ相応しい。
(2013.1.9.サントリーホール)
コメント (2)
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