Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

二つのマーラー交響曲第5番

2013年01月23日 | 音楽
 2日連続でマーラーの交響曲第5番を聴いた。いずれも在京オーケストラの定期。マーラー・ブームという言葉は通り越して、飽和状態の象徴だ――と、遠い将来振返ったときに思うかもしれない。

 1月21日はセゲルスタム指揮の読響。これがめっぽう面白かった、といったら、少し実感とは異なってしまう。むしろ風変わりな演奏だった。正直いって、最後までついて行けたわけではない。だが、今になってみると、その風変わりさが実体をともなって残っているのだ。

 あの演奏を言葉で説明することは手に余る。ざっくりいうなら、セゲルスタムの260曲以上ある交響曲(プログラムノーツによると、今は第261番を作曲中だそうだ)の何曲かを聴いたことのある人なら、想像がつくかもしれないが、音楽のなかに入って、なんのこだわりもなく、自由な心で遊ぶような演奏だ。

 なので、ある一つのメッセージを受け取ろうとすると、面喰うことになる。こういう演奏を否定する人もいるだろう。わたしはどうか――。最近は、むきになって否定することも、声を大にして支持することも、あまり気乗りがしなくなった。むしろじっくり抱えていることを好むようになった。

 翌22日はインバル指揮の都響だった。なるほど、前日のセゲルスタムとの比較でより一層鮮明に感じられたが、インバルとは、聴衆がその曲に望むものを、あやまたず、正確に再現する指揮者なのだ。セゲルスタムのように肩すかしをくわせることは一切ない。それが人気の秘訣だろう。

 この日は好調のようだった。好調であれば、この曲を50年以上も演奏しているわけだから、スコアの隅々まで知っている。随所にこだわりポイントがあり、興味が尽きなかった。

 なお、それぞれの前プロも面白かった。セゲルスタム/読響はモーツァルトのピアノ協奏曲第23番。ピアノは菊池洋子。流麗で、かつアンサンブルの透明な皮膜のなかで自由に動き回るような、繊細な演奏。ひじょうに優秀なピアニストだ。アンコールにセゲルスタムのSEVEN QUESTIONS TO INFINITYが演奏された。ピアノを軽く叩いてユーモラスに終わる。これも面白かった。

 インバル/都響はマーラーのリュッケルトの詩による歌曲から5曲。独唱はイリス・フェルミリオン。いつもながら、マーラーの世界の核心にふれるような歌唱だ。このレベルの歌唱はめったに聴けない。
(2013.1.21&22.サントリーホール)
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