Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

パルジファル

2012年09月14日 | 音楽
 東京二期会の「パルジファル」初日を観た。クラウス・グートの演出が見ものだ。回り舞台を使って、場面ごとに、ゆっくり、少しずつ変化する。そのテンポが音楽に合っている。合っているというよりも、音楽と完全に一体化している。

 滑らかな語り口だ。ゆっくりと、しかし淀みなく進む。むしろ冴え冴えとした印象だ。比喩的にいうなら、冴えわたった月夜のような感触だ。東京二期会としてもこれは一皮むけた公演だ。毎年のようにヨーロッパの最前線の演出家を迎えてオペラを制作してきた経験がものをいっているとしたら、これは嬉しい。

 クラウス・グートの演出ノートが「二期会通信」の6月1日号に掲載された。ひじょうに面白いエッセイだ。公演プログラムに掲載されていないのがもったいないくらいだ。この演出を読み解くヒントが書かれている。

 周知のように「パルジファル」は当初バイロイトが独占上演権をもっていたが、それが切れる1913年12月31日にバルセロナで上演され、以後ヨーロッパ各地で上演された。時あたかも第一次世界大戦が勃発する時期だった。

 そこで「物語の始まりを1914年に設定し、第2幕では第一次世界大戦後の復興期に、終幕でナチによるいわゆる『権力獲得』へとつなげる展開にした」そうだ。予めこのことを知っておくと、舞台がよくわかるので、参考までに。

 このような演出だと、救済はだれに、どのように訪れるか――が気になった。それは思いもよらないものだった。うーんと唸った。さすが、というべき解釈だ。今の社会に照らしてみても、ひじょうに示唆に富んでいた。

 タイトルロールは福井敬。第2幕の後半でクンドリの接吻を受けて突然アンフォルタスの苦痛を知るときの、その絶唱が圧倒的だった。アンフォルタスは黒田清。声、ドイツ語のディクション、演技、すべてすばらしい。グルネマンツの小鉄和広とクンドリの橋爪ゆかも文句なし。クリングゾルの泉良平の舞台姿も存在感があった。

 意外に不満が残ったのはオーケストラだ。幕を追うごとによくはなったが、全体としては、よそ行きの演奏だった。指揮の飯守泰次郎は、2005年に東京シティ・フィルを振ったときには、もっと熱い演奏をしていた。読響も2002年にゲルト・アルブレヒトの指揮で演奏したときには、もっと瑞々しく、豊かな息づかいの演奏だった。公演はまだ3回あるので、今後どうなるか。
(2012.9.13.東京文化会館)
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