Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

カンブルラン&読売日響

2011年04月19日 | 音楽
 あの人も、この人も、という具合に指揮者のキャンセルが相次ぐなかで、読売日響の常任指揮者カンブルランが来日した。4月9日の日経新聞によると、「困難な状況にある人々に愛と希望を与えるのが音楽家の使命。常任の職責、日本の聴衆への信頼も考えれば、来て一緒に音楽するのが当然」と語ったそうだ。

 昨日は定期演奏会だった。予定のプログラムにはないが、冒頭にメシアンの「忘れられた捧げもの」から第3曲「聖体」が演奏された。大編成のヴァイオリン2部とヴィオラによる静謐な音楽。大震災の犠牲者を追悼した。

 プログラム1曲目はプロコフィエフのバレエ音楽「ロミオとジュリエット」からの抜粋(7曲)。引き締まったリズム、多彩な音色、見事なバランス、どれをとっても一級品。大震災以後いくつかの演奏会をきいたが、音楽的な渇きがこれで癒された。

 プログラム2曲目から3曲目にかけては、当演奏会のメイン。ラヴェルの「ピアノ協奏曲」と「左手のためのピアノ協奏曲」をロジェ・ムラロが一気に弾くというもの。

 ムラロも、カンブルランも、年中もっと複雑な曲をやっているので、これらの曲はなんの苦もなくやれる、という様子の演奏だった。もちろん細心の注意を払っているにちがいない。しなやかに絡み、どこも突出せず、均衡のとれた演奏。その演奏をきいていると、一卵性双生児の両曲に通底するものが感じられた。

 アンコールに、実にシンプルで、ナイーヴな曲が演奏された。曲名はメシアンの「プレリュード」とのこと。帰宅後、調べてみたら、該当しそうな曲が何曲かあった。そのうちのどれだろう。CDでよいから、ぜひもう一度きいてみたいものだ。(※)

 最後はラヴェルの「ボレロ」。前出の日経新聞の記事によると、カンブルランは「執拗な反復の後に激変する音楽は暗示的。毎日の小さな積み重ねが悲劇に至るようにも思え、人生を考えさせる」と語ったそうだ。日々の生活が一瞬にして失われた大震災と、この曲が、重ね合わせて考えられることに、驚いた。それ以来、頭にこびりついて、離れない。

 でも、演奏をきいていると、悲劇が起きたようには感じられなかった。明るく、フレンドリーなカンブルランの音楽性のゆえだ。音楽的な枠内に収まった、上質な演奏だった。

 読売日響だけでなく、わたしたちも、頼もしいリーダーをもって、幸せだ。
(2011.4.18.サントリーホール)

(※)後日、CDで確認できた。アンコールはメシアンの最初期の作品「8つの前奏曲」から第1曲「鳩」だった。メシアンがドビュッシーの末裔であることがよくわかる曲。冒頭の「忘れられた捧げもの」ともども、この日はメシアンの最初期に触れる機会になった。
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