Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

フェルメール「地理学者」

2011年04月11日 | 身辺雑記
 Bunkamuraの「フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展」に行ってきました。土曜日の午後だったので、すごい人出でした。それでも閉館の午後5時近くになると、潮が引くように少なくなり、一部はじっくりみることができました。

 本展はフランクフルトのシュテーデル美術館から、17世紀中ごろのオランダ・フランドル絵画をごっそり借りてきたもの。目玉はフェルメールの《地理学者》。展示全体からは当時の絵画の状況が浮かび上がります。

 当時、オランダはヨーロッパでもっとも裕福な国でした。とくにアムステルダムには富が集中し、芸術も繁栄しました。なかでも絵画は、富裕な市民層の需要を背景に、巨大な市場を形成していました。レンブラントの波乱の人生は、その時代がどんなものであったかを物語っています。

 周知のように、富裕な市民層の登場は、絵画に本質的な変化を及ぼしました。貴族や教会がパトロンであったころとはちがって、風俗画、室内画、風景画、静物画などが盛んに描かれました。また依然として歴史画、肖像画も描かれました。本展ではその活気あふれる息吹が感じられます。

 作品としては、もちろん、フェルメールの《地理学者》が一級品です。シュテーデル美術館の(本作の)展示室は薄暗いのですが、本展では適度な照明のもとでみることができます。日常の一瞬が凝固した緊密な構成、ガラス窓を通して射しこむ光の効果、地球儀やゴブラン織りの布の質感。これらのディテールのなかで、ぼやけたような平板な顔も、あえてそうしたのかと思えてきます。

 ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスと移って行ったヨーロッパの覇権(というと言い過ぎかもしれませんが、要するに、その時代、時代でもっとも栄えた都市をもつ国)にあって、その一齣としてのオランダの時代が感じられます。

 先日、何人かの歴史学者が、3・11の大地震を、ポルトガルの凋落の過程で起きた(18世紀半ばの)大地震になぞらえているのを読んで、興味深く思いました。

 日曜日には、思うところがあって、千葉県旭市に行ってみました。死者13名、行方不明者2名を出し、今なお230名のかたが避難所生活をしています。わたしが訪れた地域は比較的被害が小さかったようですが、それでも浜辺に打ち上げられたいくつものテトラポット、折れ曲がった街路灯、壊れた倉庫、壊れた橋などが、津波の跡をとどめていました。
(2011.4.9.Bunkamuraザ・ミュージアム)
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