Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

神々と男たち

2011年03月10日 | 映画
 フランス映画「神々と男たち」。1996年にアルジェリアで起きた武装イスラム集団による修道士7人の誘拐・殺害事件を描いたもの。昨年のカンヌ国際映画祭の審査員特別グランプリ受賞作品。本年2月にはセザール賞の最優秀作品賞も受賞。

 武装イスラム集団の活動が激化するアルジェリアの山村。修道院を営みながら医療活動を続けるフランス人修道士たちは、避難すべきか、とどまるべきかで揺れる。だれもが死と向き合う。何度も繰り返される対話。その姿はベルナノスの戯曲「カルメル会修道女の対話」(これも映画の台本として書かれた。後にプーランクがオペラにした。)を想起させる。もっともベルナノスの場合はフランス人的な饒舌が続くが、本作は寡黙な静けさに満ちている。

 やがて修道士たちは一人ひとりの意思を述べる。「カルメル会修道女の対話」では一人だけ殉教に反対するが(でもすぐに撤回)、本作の場合は全員とどまることを望む。死の恐怖を抜け出した男たちの穏やかな顔。

 ある夜、武装イスラム集団らしき男たちの襲撃があり、修道士たちは拉致される(本件の真相は明らかではない。映画でも特定を避けている。)。処刑場にむかう修道士たちの姿はゴルゴダの丘にむかうイエスのようだ。

 印象的だったのは、武装イスラム集団にたいする憎しみ、あるいはイスラム世界にたいする蔑視が感じられないことだ。主人公の修道院長はもちろん、他の修道士たちも憎しみや蔑視をもっていない。命を脅かされているにもかかわらずだ。これは映画のためのフィクションではなく、事実そうだった。実在の修道院長がテロの犠牲になることを覚悟して残した遺書がある。映画にも登場する。プログラムに掲載されているので、少々長くなるが引用したい。作家の曽野綾子さんの意訳。

 「そして、私の最期の時の友人、その意味も知らず私を殺す人、にもこの感謝と別れを捧げる。なぜなら、私はあなたの中にも神の顔を見るからだ。私たち二人にとっての父である神が望まれるならば、私たちはゴルゴダの丘で最後にイエスと共に十字架にかけられながら、永遠の命を約束された盗賊たちのように、また天国で会おう。アーメン、インシャラー」

 敬虔な信仰心とはここまで行くものかと、驚くばかりだ。「その意味も知らず私を殺す人」に「また天国で会おう」と呼びかける精神力がなければ、憎悪の連鎖は断ち切れない。
(2011.3.9.シネスイッチ銀座)
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