Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

その後の日々・・・

2011年03月20日 | 身辺雑記
 その後、安否が気になっていた知人とは連絡がとれました。伝言ダイヤルにメッセージを吹き込んでおいたら、電話がきました。あいにくその電話はとれませんでしたが、留守電に元気そうな声が録音されていました。嬉しくなって電話をしてみましたが、つながりませんでした。

 義理の妹夫婦が仙台の北の大崎市に住んでいて、いろいろなルートで無事との情報が入っていましたが、どうしているかと心配していました。先日、電話が復旧したそうで、電話が入りました。津波は免れたものの、家は全壊とのこと。農家ですので、今年の稲作が心配でした。田んぼに泥水が出たので(液状化現象のようだったそうです)、わからないと言っていました。

 地震、津波、そして原発事故。次から次へと起きる非常事態に、だれもがやれるだけのことはやっているはず。国のレベルでも、自治体のレベルでも、民間企業のレベルでも、それは同じです。「あのときああすればよかった」とか、「あらかじめこうしておけばよかった」とかの反省点はいくらでもあるでしょう。次代につなげるために、あとでじっくり時間をかけて検証しましょう。でも今はひとを叩くのは控えましょう。そして、欧米のメディアが「フクシマ50」と命名したような、現場で体を張っている人たちとともに在りましょう。

 今日は、近くの洗足池に行ってきました。その昔、日蓮上人がここで休息して、足を洗ったという故事のある池です。そのとき袈裟をかけた「御袈裟懸松」(袈裟掛けの松)が残っています。今は3代目だそうです。古い小さな山門も、その上の瓦も、大きな石燈籠も、本堂も、どれも地震の影響はなかったようです。それに比べてミューザ川崎の惨状たるや。

 わたしは、震災後しばらく、音楽をきく気を失いました。なんだか感受性が壊れてしまいました。それでもこのところ、ぽつぽつとCDをきき始めています。なにをきこうかと思って、やっと選んだのは、シューベルトのピアノ・ソナタ第19番ハ短調です。第1楽章冒頭のテーマは、津波にさらわれた人たちの怒りと無念が込められているようでした。その濁流のなかに、どこからともなく、鎮魂の歌がきこえてきました。第4楽章は、死者と生者のおもいがないまぜになって、それこそ津波のように、どこへともなく流れていくようでした。

 そのとき以来、毎日このCDをきいています。演奏はヴィルヘルム・ケンプ。今の感覚では古いタイプの演奏ですが、平常心を失っているわたしには、かえってその穏やかさがありがたく感じられます。この演奏はわたしのおもいのすべてを受け入れてくれる器のようです。
コメント (2)
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