Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

カルメン

2010年06月21日 | 音楽
 新国立劇場の「カルメン」。2007年のプレミエだが、私はそのときみていないので、今回がはじめてだ。

 指揮はマウリツィオ・バルバチーニ。例の前奏曲の冒頭の「闘牛士の行進」が猛烈に速いテンポで演奏されたので驚いた。ただし中間部の「闘牛士の歌」は普通のテンポ。幕があいてからも普通のテンポだったが、稀に速いテンポ設定の部分があった。その好例は第2幕のカルメンの密輸仲間の5重唱。危うくアンサンブルが崩れかける一歩手前まで追い込んでいった。これは歌手やオーケストラにストレスをかけて、ルーティンになるのを防ぐためではないかと思った。

 歌手はカルメンがキルスティン・シャべス。ひじょうに肉感的な声だ。一例をあげるなら、第1幕の「セギディーリャ」では、ホセを絡めとっていく肉感性が伝わってきて、最後にホセがか細い声で重なる部分など、妙に生々しかった。
 ホセはトルステン・ケール。これも第一級の歌手だ。第2幕の「花の歌」などは、これをきいたカルメンは、ホセの心情にふれたというよりも、官能性にふれたのではないかと思われるほど。
 エスカミーリョはジョン・ヴェーグナー。どことなく疲れたような、暗い、ニヒルなエスカミーリョだった。闘牛士というものが常に生死の境に身を置いているなら、こういうエスカミーリョもありかもしれない。
 ミカエラは浜田理恵。第3幕のアリアは絶唱だった。フランス語の発音の美しさが際立っている。そういえば、たしかこの歌手はフランス在住ではなかったろうか。

 演出は鵜山仁。細かい部分はよく考えられているが、全体を通した主張は弱い感じ。歌手の自発的な役作りを待っているのかもしれない。これなら出演する歌手によってかなりちがう舞台になるのではないかと思った。

 で、今回は――。私は以前にcharisさんがコメントしてくださった「性愛につきまとう暴力性」という言葉を思い出した(本年3月29日の「神々の黄昏」にたいするコメント)。ホセのカルメンにたいする気持ちは、性愛にとらわれた人間のそれ。カルメンもそのことはよくわかっていて、結果的にどのような暴力性をもつかを重々承知している。
 カルメンはエスカミーリョとも寝たろうが、妙に冷たいものではなかったろうか。今回のエスカミーリョの役作りは、それを感じさせた。

 このような関係性がドラマの推進力になる――のだが、多分に歌手たちの個性に負う部分が大きいため、中途半端に終わった感が否めない。
(2010.6.20.新国立劇場)
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