Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

旅日記:テンペスト

2010年02月15日 | 音楽
 1971年生まれのイギリスの作曲家トーマス・アデスのオペラ「テンペスト」をみた。2004年にロンドンのロイヤル・オペラで初演された作品。原作はいうまでもなくシェイクスピアの戯曲だ。
 私はこの戯曲を何度か読んだことがある。不思議な音にみちた幻想的な作品。あれをオペラにするとは、そうとうな野心家だ。

 アデスの音楽は初めてきいたが、常套的な音の動きを拒むところがある。不協和音で刺激するとか、大音響で驚かせる音楽ではないが、安易にその流れに身を任せることのできる音楽ではない。その意味ではベンジャミン・ブリテンの末裔なのかもしれない。
 そういえば、妖精エアリエルが魔法の食卓を出現させる場面では、ガムラン音楽のようなエキゾチックな音楽が鳴っていたが、これもブリテンとの関連を感じさせる。
 ファーディナントとミランダの愛の二重唱は、現代的な甘い音楽だ。オペラが大衆的なジャンルである以上、作曲家としては当然計算するところ。

 興味深かったのは妖精エアリエルの音楽。高音域が連続する超絶技巧で、これはジェルジ・リゲティのオペラ「ル・グラン・マカーブル」(昨年東京でも東京室内歌劇場によって上演された)の登場人物ゲポポを参照しているのではないかと思われた。

 台本はメレディス・オークスという人。原作を切り貼りするのではなく、いったんばらばらに解体して、再構築するもの。その過程で重要な改変があった。原作では魔法使いのプロスペローがすべてを支配しているが、台本ではファーディナントとミランダの愛は、プロスペローの魔法をこえて生まれるようになっている。茫然自失するプロスペロー。
 これが第1幕で起きる。結果として、プロスペローは第1幕で愛娘ミランダを失い、最終幕の第3幕では魔法を放棄して、妖精エアリエルを失うので、オペラ全篇にわたって喪失感が漂う。これはシェイクスピアの原作と共振している。

 演出はトーキョー・リングの演出家キース・ウォーナー。たとえば冒頭の嵐の場面では登場人物たちがワイヤーで逆さ吊りにされて天井から降りてくるなど、奇抜で楽しいものだった。装置、衣装、照明をふくめてポップで明るい舞台。

 指揮はヨハネス・デブス。昨年東京で細川俊夫のオペラ「班女」を振っていて、私はそのときも感心したが、今回も見事なもの。こういう若い才能が出てきているのだ。
 歌手はみな、歌、演技ともに文句なし。一人だけ名前をあげておくなら、妖精エアリエルを歌ったシンディア・ジーデンCyndia Siedenというソプラノ歌手。普段は夜の女王やルル、ツェルビネッタなどを得意にしている歌手のようだ。
(2010.2.6.フランクフルト歌劇場)
コメント (2)
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