Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

都響の3月定期(Bシリーズ)

2009年03月24日 | 音楽
 昨年4月に都響のプリンシパル・コンダクターに就任したインバルが、1年ぶりに都響に戻ってきて、3月定期のBシリーズを振った。
(1)ラヴェル:ピアノ協奏曲(ピアノ:横山幸雄)
(2)ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(合唱:晋友会合唱団)
 Aシリーズは別の指揮者が振った。これはインバルのスケジュールの都合だろうか。

 ピアノ協奏曲の第1楽章は、どことなく焦点の定まらない演奏。第2楽章は、冒頭のピアノの長いモノローグ、後半のイングリッシュホルンのソロ、いずれもわるくはないのだが、各パートの絡み合いの中から生まれるはずのファンタジーの広がりに欠ける。第3楽章になってエンジンがかかってきたが、それまでのダメージが大きすぎた。
 終演後、あまり肯定的に感じられなかったのはなぜだろうと考えた。多分、この曲のディヴェルティメント的な軽い性格がとらえられていなかったからだ。この曲は、同時期につくられた左手のためのピアノ協奏曲がある絶対的な悲劇性を帯びているのと対照的に、ノンシャランな喜遊的性格をもっているが、そこの部分が出てこなかった。

 「ダフニスとクロエ」では、音に重さを感じた。とくに第1部は、とりとめのない曲想が続くため、色彩の変化が生命線のはずだが、それがどうも重い。第3部になると、もともと曲がよくできているので、だれが演奏してもそれなりのものになるが、そこをこえた音の官能性が出てこない。ギリシャの理想郷を舞台にした若い二人の愛の目覚めを描くこのバレエは、音からにじみだす官能性が本質のはずだが。
 記憶を頼りに、帰宅後、調べてみたら、1998年に都響の音楽監督に就任したベルティーニも、就任直後に「ダフニスとクロエ」を演奏している。私は、そのときも、重さを感じたことを思い出した。ベルティーニやインバルのような重量級の指揮者と都響のコンビにとっては、この曲は意外に手ごわいのだろうか。

 インバル&都響では、2007年12月のマーラーの交響曲第6番が、今でも鮮明な印象になって残っている。透明で豊かな色彩感のある音は、都響のイメージを一新するもので、驚異的だった。今回は、残念ながら、その水準の成果をあげることはできなかった。
 なお、私は仕事の都合できけなかったが、2008年4月にはマーラーの交響曲第8番を演奏している。そのときはどうだったのだろう。

 都響は、矢部達哉さんと山本友重さんの二人のコンサートマスターを揃えるなど、万全の体制で臨んだ。私としては不本意な感想をもったが、インバル&都響が大きな可能性を秘めていることは十分に承知している。今後も期待する意味で、あえて感想を述べた。
(2009.03.23.サントリーホール)
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