Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ルーヴル美術館展

2009年03月01日 | 美術
 国立西洋美術館で「ルーヴル美術館展」が始まった。副題は「17世紀ヨーロッパ絵画」。
 予習のために手元の美術全集の解説を読むと、17世紀を代表する画家として、ルーベンス、レンブラント、ベラスケスの3人をあげていた。今回の展覧会では3人とも来ていて、しかも作品の質が高い。

 ※なお、以下でとりあげる作品の図像は、著作権の問題を考慮して、貼付を控えます。作品はすべてルーヴル美術館展のホームページの「作品解説」↓でご覧いただけます。お手数をおかけして、申し訳ありません。
  http://www.ntv.co.jp/louvre/topics/cat380/


 17世紀を概括すれば、バロック時代ということになるが、ルーベンスはその代表にふさわしい。今回来ている「ユノに欺かれるイクシオン」は、裸体の明るい色と艶と、うねるような動きによって、ルーベンスの最良の部分を伝えている。
 レンブラントの「縁なし帽をかぶり、金の鎖をつけた自画像」は、画家がまだ人生の苦さを知らず、野心にみちていた20代のときの作品。その精神性と迫真性、バランスのとれた構図は、だれにも真似のできないレンブラントのものだ。
 ベラスケスの「王女マルガリータの肖像」は工房の手が入っているというが、顔の描き方は、紛れもないベラスケスの筆を感じさせる。ウィーン美術史美術館の名作「バラ色の衣装の王女マルガリータ」との共通性を感じたので、帰宅後調べてみたら、同時期の作品だった。

 これらの3人の巨星のほかにも、17世紀はフェルメールとジョルジュ・ドゥ・ラ・トゥールという比類のない個性を生み出した。
 フェルメールは「レースを編む女」が来ている。無心にレースを編んでいる女、それだけの絵なのに、じっとみていると、なぜか息詰まるような気がしてくる。濃密な空間がそこにはある。衣服の淡い黄色と編み物の布地の濃紺とのコントラストがその一因か。
 ラ・トゥールは「大工ヨセフ」。夜の仕事場で角材に錐で穴を穿っているヨセフ。その手元を少年イエスの蝋燭が照らす。角材は将来イエスがかけられる十字架だ。額と額がくっつきそうになるほど近寄って、無垢な少年イエスをみつめるヨセフの眼には、悲しみをこらえた父性愛がにじむ。縦長のかまぼこ型の構図が、どっしりとした安定感をもって、この主題に呼応する。ヨセフの粗末な仕事着に穴が一つあいているのを発見したことが、この日の私の喜びだ。

 そのほか、クロード・ロランの「クリュセイスを父親のもとに返すオデュッセウス」とル・ナン兄弟の「農民の家族」は、私の美術全集にものっている作品だ。実物をみて感じたこともあるが、煩瑣になるといけないので、詳述は控える。

 全体としては、17世紀というざっくりとしたテーマのもとで、そのダイジェストをみせる展示構成になっている。オランダ、フランドル、フランス、スペイン、イタリアにまたがっているが、ドイツはすっぽり抜けている。そういえば、当時のドイツは、国土と人心に荒廃をもたらした30年戦争の傷跡に苦しんでいた。
(2009.02.27(内覧会).国立西洋美術館)
コメント (2)
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