後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔698〕ホロコーストを体験した民族がなぜガザで虐殺の行為に及ぶのか、田浪亜央江さんのインタビュー記事に合点がいきました。

2024年06月04日 | テレビ・ラジオ・新聞

 ドイツ国内に残るホロコーストの爪痕、ダッハウ強制収容所、強制収容の会議が行われたバンゼー、アウシュビッツに囚人を移送する16番線のあるグリューネヴァルト駅等々、さらにポーランドまで足を伸ばしてアウシュビッツも訪ねました。ホロコーストの犠牲になった人は600万人を超えるといわれています。

 私が常々疑問に持ち続けてきたことは、ホロコーストを体験したユダヤの民がなぜガザなどでの虐殺の行為に及ぶのか、ということでした。
  その1つの回答を得ることができたのは、「イスラエル 強行世論の背景は?」「入植地が増加 右傾化の核に」  という田浪亜央江さんのインタビュー記事でした(東京新聞、2024年5月29日、「考える広場」)。このブログではその部分を紹介させていただきますが、東京新聞のサイトではその全文を読むことができます。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/330157

   私が合点がいったのは以下の箇所です(田原牧さんは論説委員)。

田原 イスラエルは国際社会で孤立を深めています。それでも国民の多数が報復攻撃に前のめりになる原因として、ホロコースト体験を指摘する声があります。敵に一歩でも引けば、やられかねない。世界の良識も頼りにならないという感覚が染み付いているという解釈です。
 田浪 ホロコーストを結び付ける言説はあります。でも、それは体験というより「物語」だという点に注意すべきです。
 ホロコーストは欧州で発生しましたが、国民の多数派はアラブなどそれ以外の地域の出身者たちです。親や祖父母もホロコーストは体験していない。
 実際、建国当初はホロコーストを強調しませんでした。むしろ、それは民族の弱さと見なされ、否定的に扱われました。
 それが1960年代に変わります。世界各地から集まった国民を統合するナショナリズムや対外的に政策を正当化する道具として利用していきます。
 中身も悲劇一辺倒ではなく、欧州の迫害にいかに抗(あらが)い、周囲のアラブ諸国を破って「建国の奇跡」を成し遂げたかという抵抗の物語として語られています。 


   余談ですが、田浪亜央江さんの御尊父は田浪政博さんで、昔からの知人でもあります。我が家からほど近い、武蔵野線の新秋津駅前でかつて秋津屋ラーメンを開業されていました。かん水などの添加物を使わない美味しいラーメンとして有名でした。私のクラスを授業参観した大学院生たちと、土曜日に月1回ぐらいここのラーメンを食べ語るのが常でした。
 彼は、かつて文部省が戦後すぐに発行した『憲法のはなし』を復刻出版され、新聞やテレビなど多くのマスコミで取り上げられました。開店の周年記念に国民学校の記憶を記した大部な本も出版されました。
  私が東久留米九小で教師をしているときに、平和集会で彼に東京大空襲の話を伺ったことがあります。
 かつてこのブログでも、彼のユニークな封書の年賀状を紹介したことがありました。
  
 田浪亜央江さんの話をいつか聞きたいと思っています。


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