後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔62〕初めての能楽(能・狂言)鑑賞は「金春円満井会・特別公演」でした。

2015年12月16日 | 語り・演劇・音楽
  長く演劇教育に携わってきたのに、本物の能楽(能・狂言)の鑑賞の機会はありませんでした。子どもたち向けの入門的な能楽や歌舞伎の公演は何度か鑑賞してはいましたが。
 今回、ひょうんなことからあの能楽のメッカ、国立能楽堂に初めて足を運ぶことになったのです。
 話は今年の8月の初旬に遡ります。私たち夫婦は猛暑の鹿児島、川内原発再稼働阻止集会に参加していました。(ブログ〔39〕参照)たしかバスで川内原発から鹿児島に戻る車中でのことでした。バスは首都圏からの参加者で補助席まで埋まっていました。そして、私の隣に座っていたフランスの若い女性に興味を持って話しかけたのです。日本語はぺらぺらで、日本の芸能に興味を持ち、何度も日本に来ているということでした。彼女は日本人の女性と一緒に集会に参加したというのです。その中年の女性が彼女の後ろに座っている森瑞枝さんで、能の類い希なる演者(能楽師)だというのです。
  家に戻ってから妻がミニコミ「啓」を森さんに送りました。妻とのメールのやりとりの後、最近になって森さんからの封書が届きました。能楽の公演のお知らせと彼女が書かれた文章のコピーでした。月刊「監査研究」(日本内部監査協会発行)に掲載された「能楽の世界」の連載(12回)や「金春月報」の文章でした。そこで彼女が国士舘大学非常勤講師であるいうことも知りました。
  公演案内を見てびっくりしました。能「乱」にシテ・森瑞枝となっていたのです。シテとは主人公という意味だそうです。…これは行くしかないなと2人で話し合いました。

 12月13日(日)、ついに国立能楽堂に妻と足を踏み入れました。番組(プログラム)は次の通りです。

・能「乱」
・仕舞「三輪」「善知鳥」
・狂言「福の神」
・仕舞「八島」「遊行柳」「昭君」
・能「道成寺」

 途中休憩を挟んで、4時間の公演の中心は、能「乱」と「道成寺」です。そして「乱」は2人の舞手によって構成されています。もちろんその1人が森さんです。
 パンフの解説を引用してみましょう。

●金春円満井会 特別公演(パンフより)
「乱 双ノ舞」
 唐土・瀋陽の江(揚子江)のほとりの市で酒を売る高風のところに、いつも酒を飲みに来る者がいる。高風が名を尋ねると、猩々(海中に棲む酒を好む妖精)だと名乗って消える。やがて水中より猩々が現れ、酒を酌み交わし舞を舞う。爽やかな名月の夜、不老長生を言祝ぐ「猩々」を、特殊な足遣いの舞「乱」で、二人で舞います。「ともに逢うぞうれしき」曲です。
「道成寺」
 少女時代の結婚の約束を反故にされた女は、恐ろしい大蛇となり、男が逃げ込んだ鐘ごと焼き殺してしまった。歳月を経ても執心の炎は消えることなく、白拍子の姿となって現れた女は鐘の中へと姿を消す…。
 物音ひとつ立てられない緊張感と、能楽堂を突き抜ける激しい躍動。静と動、能の醍醐味が凝縮された秘曲に、若手能楽師が初めて挑みます。

 能楽堂の舞台は独特の構造になっています。歌舞伎でいうところの花道にあたるのが橋掛かりです。そこを通って役者は正方形の舞台に登場してきます。客席は舞台の正面、斜めから見る中正面、脇から見る脇正面に分かれます。すべてチケット代が違っていて、我々の中正面でも一万円でした。
 客席のライトが落ちると開演です。手元のパンフレットが読めるくらいの明るさは保たれています。
 登場人物の朗々たる独特の言い回しを聞きながら、不思議な感覚に襲われていました。20年ほど前にグループ旅行でパリを訪ねたときのこと、地元の人に交ざってモリエールの芝居を見たことがありました。全くフランス語は理解できないのですが、役者のしなやかな身のこなしは実に面白いのです。同様に室町時代の京都のことばはすとんと胸には入ってこないのですが、その言い回しやテンポや間がいろいろと想像させるのです。楽器といえば笛や太鼓、鼓だけです。静寂の中の抑えた演技が見る者の想像力をかきたてるのです。幽玄の美とはこのことでしょうか。
 全体の構成にも目を見張りました。能と能の間にコミカルな狂言を挟み、その狂言の前後を舞いで囲んでいるのです。観客を飽きさせない工夫なのでしょう。
 森さんの舞いは優雅で、気品が感じられました。相方とのゆったりした協調性は静けさの中の躍動感があります。
 それにしてもなぜ能の演者であり研究者である森さんが原発反対なのか、次の文章を発見して深く納得したのでした。

●「アンゲロプロスの訃報にたちずさんで」森瑞枝「金春月報」より
 …2011年3月11日があってから2年目に入った。あの時、私は生まれて初めて、自らの「生存」ということを考えた。はじめはごく普通に、天災ならば運を天に任せる気でいた。しかし、原発の異変を、政府と「御用」連中が「公器(マスコミ)」を使って誤魔化すのを察知して、完全に考えが変わった。万が一にも、彼らの欺瞞言語(プロパガンダ)に従って自分の生存が損なわれてはならない。自分の事は自分が決める。生き延びたい、と。妄想だろうが何だろうがかまわない。ちょうど人生50年、トランク一つで仕切り直しだ。どこへでも出て行ける。…

*本ブログ掲載後に次の放送がありあまりのタイミングの良さにびっくりしました。「にっぽんの芸能」(NHK Eテレ)若手能芸師が挑む大曲能「道成寺」喜多流、本番までの舞台裏ドキュメント、塩津圭介、塩津哲生ほか。(2015.12.18放送)

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