後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔273〕ステイ・ホーム中は家のリフォームと並行して、カンパ活動に勤しみました。

2020年06月09日 | テレビ・ラジオ・新聞
 コロナ禍による外出自粛のステイホームでできることは限られています。これほど40年住み続けた家のリフォームに精を出したことは未だかつてありませんでした。台所の錆隠し、風呂場の汚れ落とし、外壁の亀裂隠しなど結構やることがあるものですね。成果が目に見えると嬉しいものです。次から次へとやるべき仕事が見つかるものです。その成果を自画自賛するのですが、どうやら妻には煙たがれているようです。
 そうこうしているうちに、これは素人では解決できないなと思う箇所がいっぱい出てきました。玄関の戸の歪み、畳の汚れ、床暖房の室外機の不調、20年間猫が荒らした柱や襖などです。40年に一度の専門家によるリフォームということにあいなりました。コロナで少なくなった仕事ができるということで業者の人も嬉しそうでした。

 さてもう一つ、市民活動も自粛中の今、取り組めるものがないか考えました。この長引くコロナ不況で倒産する会社が相次ぐなか、不要不急などと言われかねない活動が窮地に陥っています。私たちのところに様々なカンパ要請がありました。年金生活者の私たちですが、できることはしようということで、わずかばかりのカンパをすることにしました。
 朝日新聞と一緒に月2回届けられる小さな新聞「アサココ」に原爆の図美術館のカンパ要請が載っていました。ご存じの人が多いと思いますが、東松山市にある丸木位里・俊さんが描いた原爆の図などを所蔵する私立美術館です。2回ばかり訪ねたことがあります。初めて行ったときに丸木俊さんがいらして、カタログに鳩の絵とサインをしてくれました。
  この美術館は必ず残して後世に繋げていかなければならないものです。
 今日の朝日新聞夕刊(2020年6月9日)を見て驚きました。原爆の図美術館のカンパ要請の顛末が大きく報道されていたのです。カンパする人が4000人を超えたとあります。日本も捨てたものではないですね。
 「原爆の図 他者の痛みの扉」
 「4千人超から寄付/見たら前の自分ではいられない」
 「作品が持つ力 丸木美術館の岡村学芸員に聞く」
という見出しが躍ります。よかった、よかった。

 こんなところにもカンパしました。いずれも応援したい団体です。
・劇団風の子
・国境なき医師団日本
・福島原発刑事訴訟支援団
・たんぽぽ舎
・保坂展人と元気印の会
・「“かくり”の証言~長島愛生圓・邑久光明園から~」製作実行委員会
・原爆の図丸木美術館
・ウリの会
・茨木のり子の家を残したい会
・みずほと一緒に国会へ行こう会

  鎌田慧さんのコラムもどうぞ。


 ◆「責任」の責任
  うそと言い逃ればかり「セキニンガアル」と言うが、
  責任はとらない人
                  鎌田 慧(ルポライター)

 六ヶ所村(青森県)の木村きそさんは、県知事がテレビに出てくると
ハエ叩きで画面を叩いていた。半世紀前、失敗に終わった「むつ小川原
巨大開発」。反対運動のひとこまである。
 土地を奪われ犠牲になった農民は多い。

 いま、首相がテレビにでるとチャンネルを切り替える、というひと
たちがいる。こちらの方が平和的、というべきか。
 演技的なちいさなマスクをかけ、目に力のない、窮屈そうな表情を
みるだけで、気が滅入る。

 嘘つき呼ばわりされてきたが、理解力がたりなかったからのようで、
近づいてくる人間には小学校の土地を安くわけてやったり、
「腹心の友」には大学を創らせたり。外国へ行っては使いもしない
戦闘機を大量に買ってくる。
 諌(いさ)める側近がいないがための国民の不幸。

 と考えたりしていたが今回の黒川検事長の定年延長は「法務省が
提案した」と言い逃れ、本人の賭博行為が暴露されても最も軽い
訓告処分にしたのは自分ではない「法務省だ」と言い張ったり。

 それでも、「最終的には首相として当然責任がある」というのだが
「最終的に」「当然」の言葉をはさんで緩衝剤にする。
 これまでなんどもセキニンガアルと言った。が無責任のままに
終わった。
 昔の責任は自裁、ハラキリだったが野蛮にすぎる。
 いまは「受任」を辞める「辞任」である。
 それが人間的な良心というものだ。
    (5月26日東京新聞朝刊23面「本音のコラム」より)

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