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後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔480〕貴重な後期ゴシック彫刻のドイツ語文献『DER SCHNITZALTAR』(彫刻祭壇)に少々興奮気味です。

2022年06月06日 | 図書案内
 福田緑・第2回リーメンシュナイダー写真展は、今年の1月に東京・国分寺市の司画廊で開催され、コロナ禍にもかかわらず予想外の多くの方にご来場いただきました。6日間で500人近くが足を運んでくださいました。
 その中に日本で初めてリーメンシュナイダーの本『神秘の芸術 リーメンシュナイダーの世界』『リーメンシュナイダーの世界』を出版された植田重雄さんのご子息夫妻がいらっしゃいました。
 先日、写真展に尽力してくださったU夫妻にセッティングをしていただき、U夫妻とご子息夫妻と緑が会食をしました。私は残念ながら体調が悪く不参加でした。U夫妻はフライブルクなどドイツ滞在中に植田重雄さんと親しく交流されていたということです。
 会食から数日してご子息から段ボール1つが送られてきました。植田重雄さんの蔵書のなかから中世彫刻に関係するドイツ語の本を送ってくださったのです。



 その中に『DER SCHNITZALTAR(彫刻祭壇)』(Herbert Schindler、副題:南ドイツ・オーストリア・南チロルの作品と彫刻家、1978年)が含まれていました。今まで一人ひとりの彫刻家に光を当てた図録は数多く入手できましたが、彫刻家列伝とその作品についての本は、イギリスのマイケル・バクサンドールの『芸術と彫刻家』しか持っていませんでした。この手の本はドイツではあまり出版されていないようなのです。
 我々のバイブルといっても良い『芸術と彫刻家』の第1版が出版されたのが1980年、『DER SCHNITZALTAR(彫刻祭壇)』はその2年前に出版されています。ひょっとしてバクサンドールはこの本を読んでいたかなと思って文献欄を探したら、やはりあるではないですか。

 『DER SCHNITZALTAR(彫刻祭壇)』にはまあまあの数の写真が載っていました。我々には馴染みのラインベルガー祭壇、リーメンシュナイダーやシュトースの作品、ハンス・ロイ、ミヒャエル・パッハーなどの他に、初見の作品も多く掲載されていました。
 気になった作品は次の3点です。
 まずは、表紙の祭壇です。鮮やかに彩色が施されていますが、どの場面もかなり多くの人物が彫られています。カルカーの教会で馬がたくさん彫られていた祭壇を思い出します。しかし、この表紙の祭壇がある都市と所蔵されている教会や博物館がまだ特定できていません。
 2つ目は、オーストリアのリンツ近くのマウアの教会か博物館にありそうです。マリアの被昇天の場面でしょうか、実に人物がいきいきしています。天使は歌を歌っているのでしょうか、独特の表情です。それらを見上げる表情豊かな人物たち。作者はセバスチャン・クリーヒバウムという説もあるようです。



 3つ目は北オーストリアのZwettlの群像、一度見たら忘れられない個性的な面々です。蛇のようなものに巻かれている人物はいったい誰なのでしょうか。



 いずれにしてもこの3点、必ずや探し当てて実物を目にしたいものです。
 まだまだ個性豊かな彫刻がドイツ語圏には眠っていそうです。

◆最後の彫刻はチェコのアダモフに存在していました。マウアとアダモフの祭壇をこの秋の長旅で確認してきました。ブログ〔519〕をご覧ください。「答え合わせ」です。

〔479〕村上芳信さんから『わが町大豆戸(まめど)の寺社 本乘寺・八杉神社』 と「蘖(ひこばえ)」51号が送られてきました。

2022年06月06日 | 図書案内
 先日、村上芳信さんから『わが町大豆戸(まめど)の寺社 本乘寺・八杉神社』と地域総合誌「蘖(ひこばえ)」51号が送られてきました。いずれも大判のA4判、前書は98ページ、後書は80ページと充実したものです。
 村上さんはこのブログでもたびたび登場いただいていますが、私よりも年長の元中学校教師です。横校労という少数組合の闘士と名を馳せていた頃からその存在は知られていました。私との接点は、彼が後年演劇教育を志向されてからです。退職後は地域の演劇活動に尽力されました。編著も多いのですが、『夢を演じる! 横浜で演劇教育と地域演劇をつくる』(晩成書房)が主著です。

 『わが町大豆戸(まめど)の寺社 本乘寺・八杉神社』の編纂刊行委員会のまとめ役が村上さんです。まずはどのような本なのか概要を眺めてもらいましょう。



■『わが町大豆戸(まめど)の寺社 本乘寺・八杉神社』(版元ドットコムHPより)
「わが町大豆戸(まめど)の寺社 本乘寺・八杉神社」編纂刊行委員会(編集)
発行:晩成書房 A4判 98ページ 定価 1,800円+税

初版年月日 2022年2月20日
書店発売日 2022年4月14日

●目次                                             
「わが町大豆戸(まめど)の寺社 本乘寺・八杉神社」発刊にあたって
大寶山本乘寺 第45世 住職 渡邉言之 総代 青木秀男
「わが町大豆戸(まめど)の寺社 本乘寺・八杉神社」発刊のごあいさつ
八杉神社 宮司 照本 禎 総代 伊東孝幸
「わが町大豆戸(まめど)の寺社 本乘寺・八杉神社」推薦の辞
大倉精神文化研究所 理事長 平井誠二               
序にかえて(本書のガイドブックとしての使い方について)

1 わが町大豆戸(まめど)の本乘寺・八杉神社(本乘寺・八杉神社のコース)
 [1]本乘寺
参道入口→山門→本堂→開基小幡泰久墓→開山顕本法華宗日什碑→當山歴代の墓→本堂須弥壇・天井画・梵鐘→釈迦堂(タイの仏像)→戦歿者供養碑→庚申塔 ・本乘寺資料
  
 [2]八杉神社
由緒沿革高札→神橋・大豆戸根川→二の鳥居→狛犬→拝殿・奥の殿→彫刻→お神楽→破風・木鼻→拝殿前の狛犬→階段・石垣・石灯籠 →敷石→境内社→八杉神社創立70周年記念大祭式

2 お城(大豆戸城・篠原城)があった地域(杉山神社跡地へのコース)
  
 [1]大豆戸城
1大豆戸城(安山城)・ 安山→2本乘寺・八杉神社の裏山→3大豆戸桜田公園→4大豆戸塚田公園→5大豆戸菊名用水沿いのお稲荷様 →6道念前の町
  
 [2]篠原城
1篠原城(金子城)・ 城山案内板1→城山案内板2→篠原城「城山」探訪
  
 [3]杉山神社跡地
1杉山神社跡地・お稲荷様→お地蔵様 →遺蹟調査
  
 [4]大西・杉山神社の狛犬と社殿の調査

3 もうひとつの大豆戸・「堀上」地域(大豆戸不動尊へのコース)
  
1JA横浜→2横浜市水道局→3大豆戸交差点→4港北区総合庁舎→5大倉山交差点→6富士食品工業→7大豆戸不動尊

あとがき(編纂刊行委員会あいさつ)
「わが町大豆戸(まめど)の寺社 本乘寺・八杉神社」刊行委員会 村上芳信

目次                                             
「わが町大豆戸(まめど)の寺社 本乘寺・八杉神社」発刊にあたって
大寶山本乘寺 第45世 住職 渡邉言之 総代 青木秀男
「わが町大豆戸(まめど)の寺社 本乘寺・八杉神社」発刊のごあいさつ
八杉神社 宮司 照本 禎 総代 伊東孝幸
「わが町大豆戸(まめど)の寺社 本乘寺・八杉神社」推薦の辞
大倉精神文化研究所 理事長 平井誠二               
序にかえて(本書のガイドブックとしての使い方について)

1 わが町大豆戸(まめど)の本乘寺・八杉神社(本乘寺・八杉神社のコース)
 [1]本乘寺
参道入口→山門→本堂→開基小幡泰久墓→開山顕本法華宗日什碑→當山歴代の墓→本堂須弥壇・天井画・梵鐘→釈迦堂(タイの仏像)→戦歿者供養碑→庚申塔 ・本乘寺資料
  
 [2]八杉神社
由緒沿革高札→神橋・大豆戸根川→二の鳥居→狛犬→拝殿・奥の殿→彫刻→お神楽→破風・木鼻→拝殿前の狛犬→階段・石垣・石灯籠 →敷石→境内社→八杉神社創立70周年記念大祭式

2 お城(大豆戸城・篠原城)があった地域(杉山神社跡地へのコース)
  
 [1]大豆戸城
1大豆戸城(安山城)・ 安山→2本乘寺・八杉神社の裏山→3大豆戸桜田公園→4大豆戸塚田公園→5大豆戸菊名用水沿いのお稲荷様 →6道念前の町
  
 [2]篠原城
1篠原城(金子城)・ 城山案内板1→城山案内板2→篠原城「城山」探訪
  
 [3]杉山神社跡地
1杉山神社跡地・お稲荷様→お地蔵様 →遺蹟調査
  
 [4]大西・杉山神社の狛犬と社殿の調査

3 もうひとつの大豆戸・「堀上」地域(大豆戸不動尊へのコース)
  
1JA横浜→2横浜市水道局→3大豆戸交差点→4港北区総合庁舎→5大倉山交差点→6富士食品工業→7大豆戸不動尊

あとがき(編纂刊行委員会あいさつ)
「わが町大豆戸(まめど)の寺社 本乘寺・八杉神社」刊行委員会 村上芳信


 村上さんは体調の悪化から地域演劇にも関われなくなって、自宅を開放しての無料塾を開くと同時にその会報誌「親子きょういく」を発行します。そこには教え子のことや、鎌倉の社寺巡りも頻繁に掲載されました。しかしご夫妻の体調の悪化にともないそれも叶わなくなり、近隣の本乘寺・八杉神社探索に切り替えたようです。本乘寺・八杉神社探索の顛末について「親子きょういく」に掲載されましたが、それらが元になって『わが町大豆戸(まめど)の寺社 本乘寺・八杉神社』がまとめられたようです。
 村上さんの凄いところは、「老後は悠々自適の生活を!」というにはほど遠い生き方をしていることではないでしょうか。一生涯学び、思索しながら言語化しそれを発信し続けています。ミニコミだけではなく、東京新聞などのマスメディアにも働きかけています。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/168193

  「蘖(ひこばえ)」51号については表紙と目次を紹介します。まさに「地域総合誌」の様相を呈していますね。