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後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔446〕第2回福田緑・リーメンシュナイダー写真展は植田重雄さんとの「再会」の場でもありました。

2022年03月08日 | 美術館・博物館鑑賞
 植田重雄『神秘の芸術 リーメンシュナイダーの世界』(新潮社、1976年)は日本で初めてのリーメンシュナイダーに関する単行本です。その後、植田さんはこの本の神秘主義的な観点を整理して『リーメンシュナイダーの世界』(恒文社1997年)を完成させます。これが生活クラブ生協の「本の花束」というブックレビューに紹介されていたのを緑が見つけて購入し、彼女はリーメンシュナイダーに魅せられていくのです。
 緑の写真集(全4巻)出版まで日本にはリーメンシュナイダーの写真集はなく、我々にとっては唯一『リーメンシュナイダーの世界』が「リーメンシュナイダーを歩く」ガイドブックになっていました。

 不思議な縁が続くものです。
 今回の写真展を国分寺司画廊開催に導いてくださった国分寺市内在住のUさんは、かつて、お連れ合いの研究か、お仕事の関係でフライブルクなどのドイツに滞在されていらしたときに植田さんと交流があったというのです。写真展の会期中に、植田さんの『守護聖者』(中公新書、1991年)を見せてくれました。リーメンシュナイダー作の「聖バルバラ」「聖マグダレーナ」「聖ウルバン」の写真も掲載されています。ぱらぱらと頁をめくるうちに、あることに気がつきました。古本屋で偶然手に入れた「芸術新潮」(特集:聖女たちとやさしいキリスト教、1994年7月号)の植田解説「日本人のための 目で見るキリスト教入門」「いざというときお願いしたい 聖人・聖女大集合」は『守護聖者』が基になっていることに。
*「芸術新潮」(特集:聖女たちとやさしいキリスト教、1994年7月号)はアーヘン市立ズエルモント=ルートヴィヒ美術館所蔵「聖なるかたち 後期ゴシックの木彫と板絵」展、国立西洋美術館、愛知県美術館、1994年)を紹介している。





 そしてもう1冊、植田解説の基になっている本がありました。それが『聖母マリヤ』(岩波新書、1987年)です。この本にもリーメンシュナイダー作品の写真が多数掲載されています。(「マリヤとイエスを抱くアンナ」「聖母の嘆き」「マリヤの昇天」「ローゼンクランツのマリヤ」)緑の写真集にも掲載されているファイト・シュトースやミヒェル・エーアハルトの代表作も紹介されています。
 この本のある写真に目が釘付けになりました。ヒンメルスフォルテン修道院の写真です。リーメンシュナイダーの作風に似た聖母子像が写っているのです。この修道院はビュルツブルクにあり、2人で徒歩で訪ねたところでした。無人の教会内に恭しく入って撮影していたところ注意されてしまったのでした。ここには公開されていないリーメンシュナイダー作品「キリストの受難像」があり、後日画像を送っていただき、掲載できたのです。(写真集第Ⅱ巻)
 この修道院には他のリーメンシュナイダー作品はないはずです。それとも『聖母マリヤ』の「聖母子」は模刻なのでしょうか。謎が一つ増えました。植田さんに伺っておくべきでした。

 生前、植田さんと交流をもたせていただきました。緑が植田さんに手紙を書き、3,4通手紙をいただいています。一度ご自宅に招かれ、お話を伺いました。亡くなられる2,3年前のことになるでしょうか。

 不思議な縁は続くものです。
 今回の写真展になんと植田さんのご子息がいらしてくださったのです。私たちがあまり忙しそうにしていたのでそのまま帰られたというのです。緑が、ひょっとしたら植田さんの家族の方でしょうかと連絡を取ったらやはりそうでした。植田宅にお邪魔したときに2人の拙著『ヨーロッパ2人旅行、22日間』(私家版)を差し上げたのですが、それを持ってこられていたというのです。
 わずか1週間の写真展でしたが、いろいろな出会いがあり、忘れられない濃密な時間と空間になりました。多くの皆さんに感謝いたします。

〔445〕ウクライナ危機の今、久しぶりに駅頭でマイクを握りました。

2022年03月08日 | 市民運動
 清瀬・憲法九条を守る会、清瀬・くらしと平和の会は、市民センターだったり、リモートだったり、定例会を継続しているのですが、コロナ禍もあり駅頭宣伝活動は控えてきました。しかし、3月6日(日)、ウクライナ危機の今、何か訴えたい、行動したいということで久しぶりに駅頭でマイクを握ることになりました。
  私たちの動きに応えてくださった市民グループがあり、清瀬駅に集まってくれたのは全部で11人でした。終了時に残っていた人で写真撮影をしました。





  「プーチンが戦争を止めれば戦争は終わる。ウクライナが戦争を止めればウクライナはなくなる」
と書いたデモ参加者がいたことをデンマーク大使が伝えていました。まさにウクライナ危機は「プーチンの戦争」だと思います。ネオナチと民族主義者がウクライナを牛耳っていて、ウクライナの虐殺を阻止するために侵攻するのだという「大義」はフェイクとしか考えられません。

  ロシアの侵略を許してしまった一端は日本にもあると思います。
 2014年、ソチオリンピックに欧米首脳は参加を見送ったのに、安倍晋三首相は参加しました。欧米の厳しい経済制裁に対して、北方領土問題を抱える日本はロシアに対して「微温的」対応に終始していました。2016年、安倍首相は郷里の山口でプーチン大統領を歓待し、「ウラジミール」「シンゾウ」と呼び合い、親密さを演出しました。その後、経済協力の名目でロシアに3000億円の融資をしたことが新聞に書かれていました。
 しかし、その成果は出ず、北方領土返還要求を4島から2島に切り替えたにもかかわらず、交渉は頓挫しました。北朝鮮拉致問題とともに安倍政権下では1ミリも前進しなかったのが歴史的事実です。
  そうした反省もせずに火事場泥棒的に「核共有」などと言い出す始末です。憲法九条や非核三原則を国是としている日本の元首相として立ち振る舞いに疑念が増すばかりです。

  原発を15基有しているウクライナの原発がロシアから攻撃を受けています。核戦争の始まりと私は認識しています。54基の原発を抱える日本はどう身を処していくのでしょうか。我々市民自身で考えなければならない問題です。


 ◆ロシア軍は撤退せよ
  核爆弾ばかりか、原発も核戦争の手段になる恐怖を証明

  鎌田 慧(ルポライター)

 この原稿を書いているあいだにも、ロシア軍によるウクライナへの
侵略が続き、多数の市民が殺戮(さつりく)されている。どうしたらこの
非道の軍隊を撤退させられるのだろうか。
 プーチン大統領がウクライナのNATO加盟の動きなどロシア離れに
苛立(いらだ)ったにしても、武力で政権を変えようとするとは想像でき
なかった。

 第二次大戦以降でも朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争などで兵士
以外にも多くの人たちが戦火に巻き込まれて死んだ。
 いまプーチンは街を破壊し、住民を殺害しながら、ウクライナの
「中立化」「非武装化」「政権交代」を要求し、死者ばかりか膨大な
避難民を発生させている。
 そのひとりひとりに、彼はどう責任をとろうとするのか。

 大国による周辺国の主権無視の暴虐が、21世紀になっても公然と
行われている。アジアでもこれから起こりそうだ。
 ロシアの侵略戦争は各国の軍備強化を引きだす。

 安倍晋三元首相、得たりとばかり米製「核」の「共有」論を展開、
日本維新の会の松井一郎代表ばかりか自民党の福田達夫議員や世耕弘成
議員なども同調している。

 プーチンは核兵器使用を脅しに使い、チェルノブイリやザポロジエ
原発を制圧。
 ついに現代は核爆弾ばかりか、原発も核戦争の手段になる恐怖を
証明した。
 日本政府は防弾チョッキの供与を決めた。武器輸出準備のつもりか。
  (3月8日東京新聞朝刊25面「本音のコラム」より)

〔444〕今だからこそ、「憲法を変えると、どうなるの?」第2版の原案です。(塚越敏雄さん)

2022年03月08日 | メール・便り・ミニコミ
 ウクライナ危機の今、自民党などの改憲策動が蠢いています。それに棹さす鎌倉の市民グループに連帯の意を込めて転載させていただきます。いつものように画面を大きくしてご覧ください。私に連絡を取れる方はご意見ご感想をお願いします。
 本号でついに444号です。

 ◆いつもお世話になります。鎌倉の塚越です。
 ウクライナ情勢がたいへん気になるところです。
 この危機を利用して、自民党などは参院選後の改憲国民投票につなげようとし
ています。
 昨年5月の各紙世論調査では、改憲賛成が半数を越えていましたから、このま
までは憲法改悪が成立してしまうかもしれない危機的状況にあると思います。
 こうした認識にたって、多くの人に改憲の危険性を分かりやすく伝える必要が
あると考え、私たちはこの2月に「憲法を変えると、どうなるの?」を2500
部印刷しました。その後、改訂を繰り返し、第2版の原案ができましたのでお送
りします。
 気づかなかった間違いや、更に改善した方がよい点などありましたら、ご指摘
くださると助かります。
 t417mabui@nifty.com 塚越敏雄