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後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔92〕2時間、BS朝日「それでも私は、デモに行く」に釘付けになりました。

2016年05月27日 | テレビ・ラジオ・新聞
  久しぶりに良いテレビ2時間番組を見ました。きっかけは、国会前の抗議集会の写真とともに掲載された、下掲の新聞記事でした。

●朝日新聞・試写室(2016年5月26日)ザ・ドキュメンタリー ★BS朝日 夜7・00
 「日本人とデモ」に向き合う
 5年前の東日本大震災で起きた東京電力福島第一原発の事故を契機に、日本で再びデモや集会が活発になった=写真。「それでも私は、デモに行く~ここは国会前。変わるかニッポン~」と題し、反原発デモに一家4人で通う家族や、90歳の男性らに思いを問う。
 昨年、安保法成立前に脚光を浴びた学生団体「SEALDs」のメンバーにもインタビュー。60年、70年安保を経験して今またデモに足を向けるシニア世代にもマイクを向けた。ブログ「保育園落ちた日本死ね川…」が共感を広げ、保育士の待遇改善を求めて初めてデモを企画した高校生もカメラの前で語り始めた。
 田原総一朗、加藤登紀子らも、自身の思い出とともに現在のデモについて語る。「デモに意味はあるか」との問いにも向き合った番組。   (後藤洋平)

 番組内容をもう少し詳しくBS朝日のサイトを調べてみました。

●BS朝日サイトより
5月26日(木)「それでも私は、デモに行く~ここは国会前。変わるかニッポン~」

 毎週金曜日、国会前で開催される反原発デモ。そこに参加するのは、家族連れから90歳の老人まで幅広い層。しかし、そのデモの列をよく見てみると、その多くが60代から70代のシニア世代である。60、70年安保を経験、挫折した彼らは再び国会前に集結した。番組では60年安保に参加したジャーナリストの田原総一朗や、その後の音楽人生に影響を与えた歌手の加藤登紀子など時代の証言者へのインタビューを交えながら、シニア世代が再び立ち上がった背景を検証していく。
 毎週金曜の反原発デモに5年間、1日と休まず、通い続ける90歳の男性がいる。なぜ彼は通い続けるのか?そこには彼自身しか語ることのできない青春時代の「ある記憶」があった。
 アーティストの坂本龍一から「(この国の)希望」と評された学生団体「SEALDs(シールズ)」。ツィッターなどのSNSを利用しながら彼らが確立した現代版デモとは?ファッショナブルな若者たちがなぜ「反戦」を叫ぶことになったのか?しかし、安保法制も施行された現在、シールズが打って出る次なるアクションとは?
 2016年現在、日本各地では新たなデモが続々生まれている。「保育園落ちた日本死ね」ブログへの共感から始まった「待機児童問題」は全国各地で様々なデモとなり国会での論戦も白熱。その中である高校生が「保育士目指しているの私だ」デモを一人で企画し立ち上げる。準備も不十分なたった一人の挑戦は果たして成功するのか!?それ以外にも日夜、ヘイトスピーチの抗議活動や労働問題に参加する大学生などに密着。なぜ人は路上で声を上げることをやめないのか?そして彼らの声が国会へ、そして私たちの社会へ、届く日はやってくるのか?

  見応えのある番組でした。早速この録画が流れていますが、閉鎖されてしまう可能性がありそうです。見たい方は早くアプローチすることを勧めます。
  この番組を見て、いろいろ考えさせられました。箇条書きにしておきます。

*〔デモには確実に意味があるということ〕安保法=戦争法でも、原発再稼働や沖縄辺野古基地移設でも、政権の意思と民意の乖離は甚だしいものがあります。例えば原発再稼働賛成が3割程度なのに、反対は常に5割を超します。政権と民意のねじれを埋める手段の1つがデモや集会ではないでしょうか。デモをやっても意味が無いとうそぶいていても何も始まらないのです。もちろん、運動の方法は様々であって良いのですが。
*〔60年、70年安保のデモが現在に繋がっているということ〕私は70年安保世代ですが、浅間山荘の連合赤軍事件ですべての運動が終わったなどというのは事実に反しています。あの事件がすべてを象徴しているわけではないし、その後労働運動や市民運動の場で様々な展開があったことを、我々シニア世代は語り継がなければならないのです。
*〔現在の国会前デモに集まる若者、シニア世代について〕若者たちが政治的無関心であるかのように感じるのは、残念ながら、体制側の「教育の成果」を示しているだけのことです。「見事に」若者だけではなく、国民全体の権力による体制内化が成功したのでしょう。でもドキュメントにあったように、シールズやママの会、一人で運動を始めた高校生など、新しい希望の芽生えがあることも事実です。彼らとシニア世代の連帯、学生と学者の提携など、様々な動きが始まっています。
*この番組では、金曜日の原発再稼働反対集会のとが大きく取り上げられていました。多少人数が減ってきていてもみんな「持続する志」で頑張っているという図でしたが、毎月19日の戦争法廃止国会包囲総がかり行動についてはあまり触れられてはいませんでした。このブログでも書いていますように、ここにはかなりの人数が集まっているということ、マスコミはもっと取り上げてほしいなと思うのです。

  7月10日(日)投票が予定されている参議院選挙の野党共闘に強く期待するものです。

〔68〕藤田嗣治の戦争画から見えてくる戦争責任とは何でしょうか。

2016年01月19日 | テレビ・ラジオ・新聞
 もう10年ほど前になるでしょうか、連れ合いとパリ市立美術館を訪れたことがあります。ここはマティスの「ダンス」や、デュフイの巨大な壁画「電気の妖精」があることで有名なところですが、私にとっては藤田嗣治の作品が所蔵されているということで足が向いたのでした。しかしながらその作品がある地階は改装中で鑑賞がかなわず、残念な思いをしてホテルに戻ってきたものでした。
 数年前に東京国立近代美術館で藤田の戦争画が展示されたことがあります。それまでは戦争画ということで長く非公開になっていました。その時に私は初めて藤田の戦争画を見ることができました。公開された数点の戦争画の中に「アッツ島玉砕」がありました。凄惨で壮絶な絵という印象が強く、なぜこれが戦意高揚のための戦争協力画なのかと不可思議に思いました。
 昨年の暮れから今年にかけてテレビで藤田のことが頻繁に取り上げられました。再び、藤田の戦争画とは何だったのか、考えさせられています。
 まずはテレビでどのように取り上げられたのか、概略を眺めてみましょう。

●画家・藤田嗣治の特集番組、「芸術と戦争」の関係を考察〔○○ニュース〕
 画家・藤田嗣治の特集が12月17日にNHK BSプレミアムの『英雄たちの選択』で放送される。
 『アッツ島玉砕~戦争と対峙した画家・藤田嗣治~』と題された同番組では、藤田が初めて自らの意思で描くことを選択した戦争画だという『アッツ島玉砕』にフォーカス。戦前フランスに渡り、自作のキャンバスを使用した「乳白色の肌」の裸婦像で高い評価を獲得した藤田が、軍の要請を受けて戦争画を描くに至った背景を検証するほか、戦争画を描くという藤田の選択を通して「芸術=メディア」と戦争の関係を考察する。
 さら軍医として最高位の軍医総監であった父や、陸軍大将の児玉源太郎を義兄に持つ藤田が家族や家庭環境から受けた影響にも光を当て、藤田の葛藤に迫る。
*2015年12月17日(木)20:00~21:00にNHK BSプレミアムで放送

 戦争画を描いた藤田は、子どものためのユーモラスな喧嘩の絵も描いています。

●「黒柳徹子のコドモノクニ」BS5
ピカソを驚かせた日本人!
藤田嗣治が描いた美と哀しみ

 1920年代のフランス・パリで、ピカソやモディリアニと共に活躍した日本人画家、藤田嗣治。日本画独特の技法と、油彩画を融合させた斬新な画風、その独特な乳白色の色使いは人々を魅了し、"乳白色のフジタ"と絶賛された。
 藤田嗣治は明治19年、4人兄弟の末っ子として東京・新宿に生まれる。家は代々、医者を生業としており、父は森鴎外の後任として陸軍軍医総監を務めた人物。当然、嗣治も、ゆくゆくは医者になることを期待されていた。しかし、5歳の時に母が急逝すると、嗣治は寂しさを紛らわすため絵を描くようになる。そして、その非凡な才能は大正2年、パリに留学して一気に開花。世界中の芸術家がパリに集まり、その才能を競い合った"黄金の1920年代"。藤田は誰もがうらやむ圧倒的な才能で、その作品は天才ピカソをも驚かせた。
 しかし、第二次世界大戦が始まると日本へ帰国。活躍の舞台を日本に移す。この頃、絵雑誌『コドモノクニ』にもユーモラスな童画を描いていた。その後、太平洋戦争が始まると、藤田は戦争画にも手を染める。中でも「アッツ島玉砕」は戦争画の名作といわれるが、戦後になると一転、戦時中に戦争を賛美した画家として糾弾されることになる。失意のもと日本を後にした藤田は、再びフランスへ…。そこで彼は、子どもたちをモチーフにした独特の作品を描き始めた。
 今回、藤田嗣治の世界を旅するのは、脚本家・作家として活躍する中江有里さん。ピカソを驚かせた藤田作品の秘密と、子どもたちを描いた藤田の思いに迫る!
【出演】中江有里

 さて戦争画に戻りましょう。藤田は14点の戦争画を描いています。すべて東京国立近代美術館に所蔵されています。東京国立近代美術館のサイトにはその作品一覧と、映像も掲載されています。題名や美術展名、タイトル、開催年なども合わせて確認してみてください。 

■東京国立近代美術館所蔵 (無期限貸与)藤田嗣治 戦争画一覧
1.哈爾哈河畔之戦闘(昭和16年、油彩・キャンバス・額 140.0×448.0cm)第2回聖戦美術展 (1941)
2.武漢進撃(昭和13-15年、油彩・キャンバス・額 193.0×259.5cm)第5回海洋美術展(1941)
3.南昌新飛行場焼打(昭和13-14年、油彩・キャンバス・額 192.0×518.0cm)第5回海洋美術展 (1941)
4.十二月八日の真珠湾(昭和17年、油彩・キャンバス・額 161.0×260.0cm)第1回大東亜戦争美術展 (1942)
5.シンガポール最後の日(ブキ・テマ高地)(昭和 17 年、油彩・キャンバス・額 148.0×300.0cm)第1回大東亜戦争美術展(1942)
6.○○部隊の死闘-ニューギニア戦線(昭和18年、油彩・キャンバス・額 181.0×362.0cm)第2回大東亜戦争美術展 (1943)
7.アッツ島玉砕 (昭和18年 油彩・キャンバス・額・1面 193.5×259.5)決戦美術展(1943)
8.ソロモン海戦に於ける米兵の末路(昭和20年、油彩・キャンバス・額 193.0×258.5cm)第2回大東亜戦争美術展(1943)
9.神兵の救出到る(昭和19年、油彩・キャンバス・額 192.8×257.0cm)陸軍美術展 (1944)
10.血戦ガダルカナル(昭和 19 年、油彩・キャンバス・額 262.0×265.0cm)陸軍美術展(1944)
11. ブキテマの夜戦 (昭和19年油彩・キャンバス・額・1面 130.5×161.5) 戦時特別文展陸軍省特別出品(1944)
12.大柿部隊の奮戦(昭和 19年、油彩・キャンバス・額 130.5×162.0cm)戦時特別文展陸軍省特別出品 (1944)
13.サイパン島同胞臣節を完うす(昭和20年 油彩・キャンバス・額・1面 181.0×362.0)戦争美術展(1945)
14.薫空挺隊敵陣に強行着陸奮戦す(昭和20年、油彩・キャンバス・額 194.0×259.5cm)戦争記録画展(1945)

 藤田は当時ヨーロッパで最も知られた日本人画家で、日本の画家を代表して意気揚々と戦地に赴き戦争画を描いたようです。宮本三郎や小磯良平などの兄貴格でした。最初は戦地を俯瞰した絵がほとんどでした。確かに「アッツ島玉砕」から一段と迫力が増してきます。マクロからミクロの世界に瞬間移動したようでもあります。
 「アッツ島玉砕」は「アッツ島全滅」ではありません。アメリカ兵の屍の上に華々しく散った日本兵を描いたのです。展覧会に来た人びとがこの絵の前で涙を流しているのを見たとき藤田の画家としての思いは遂げられたようでした。藤田はこの絵が自身の最高傑作と思っていたようです。
  戦後、画家としての戦争責任を藤田が一身に背負わされて、日本を離れることになり、再び日本の地を踏むことはありませんでした。フランスに帰化しました。
  戦争という極限状態の中で、あのような仕事をした藤田をどう評価するのでしょうか。自分だったらどうしたでしょうか。…これからも藤田のことを考え続けようと思います。
  そして、いつか 映画「フジタ」を見なければと思っています。

●映画「FOUJITAフジタ」
 『死の棘』で第43回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ&国際批評家連盟賞をダブル受賞、『泥の河』『伽?子のために』『眠る男』など海外でも高く評価される小栗康平監督の、十年ぶりとなる最新作だ。パリで絶賛を浴びた裸婦は日本画的でもあり、大東亜の理想のもとに描かれた“戦争協力画”は西洋の歴史画に近い。小栗監督は「これをねじれととるか、したたかさととるか。フジタは一筋縄で捉えられる画家ではない」と語る。戦後、「戦争責任」を問われたフジタはパリに戻り、フランス国籍を取得。以来、二度と日本の土を踏むことはなかった。フジタは二つの文化と時代を、どう超えようとしたのか。
 フジタを演じるのは、韓国の鬼才キム・ギドク監督作品に出演するなど海外での活躍も目覚ましいオダギリジョー。フランスとの合作は本作が初めてである。映画の半分を占めるフランス語の猛特訓を受けて、見事にフジタを演じた。フジタの5番目の妻・君代役には、『電車男』『嫌われ松子の一生』『縫い裁つ人』などで名実ともに日本を代表する女優 中谷美紀。さらに、加瀬亮、りりィ、岸部一徳ら味わい深い個性派が集まった。フランス側のプロデューサーは、世界的大ヒットとなった『アメリ』のほか、アート系の作品も数多く手掛けるクローディー・オサール。静謐な映像美で描く、フジタの知られざる世界が現出した。

〔58〕NHKプレミアム「国宝・源氏物語絵巻」を見て考えました。

2015年11月29日 | テレビ・ラジオ・新聞
 NHKプレミアム 「国宝・源氏物語絵巻」を録画で見ました。
 そもそも源氏物語絵巻が、名古屋の徳川美術館と東京の五島美術館にあるということは知っていても、喜び勇んで見に行こうという気にはなれませんでした。五島美術館には足を運んだことはあるのですが、その時は源氏物語絵巻は見られませんでした。常設展示ではなかったように記憶しています。まして、はるばる徳川美術館までは行く気にもなれませんでした。正直に言って、美術に関して全くの素人の私から見れば、源氏物語絵巻が国宝に値するような作品とは思えないのです。「伴大納言絵詞」、「信貴山縁起絵巻」、「鳥獣人物戯画」(いずれも国宝)などの個性的で描写力が秀逸な作品群と同列に並ぶとは到底私には思えないからです。人物表現が類型化していることが気になるのです。でも専門家から見れば一般人には計り知れない価値があるのでしょうね。探求したくなりますね。
 ウイキィペデアで「源氏物語絵巻」を検索したら次のような記述が見つかりました。
「(「伴大納言絵詞」、「信貴山縁起絵巻」、「鳥獣人物戯画」「源氏物語絵巻」は)…日本四大絵巻と称される。なお、日本四大絵巻には「鳥獣人物戯画」の代わりに「粉河寺縁起絵巻」をあげる見解も存在する。」
 私なら、日本四大絵巻には「源氏物語絵巻」をはずして「粉河寺縁起絵巻」を入れますけどね。

 ただ今回の放送は、いろいろ考えさせられる番組であったことは事実です。
 まずは白石加代子さんの朗読が秀逸でした。少し気持ちを入れすぎる傾向にはあり、少々重い感じはするのですが、しかしながら彼女のことばがリアルに私の心に張り付いてくるのです。文章をしっかりイメージできる力を備えた女優さんならではの朗読の凄さでした。 
 さらに瀬戸内寂聴さんのコメントがいいですね。戦争には良い戦争と悪い戦争があるのではないということ、平安時代という平和な世の中だからこそ、源氏物語は男女の恋愛模様を描けたのではないかという指摘でした。まさに世界的文学の誕生と言っていいのでしょう。なるほど、源氏物語の翻訳者ならではの貴重な指摘でした。
 今回の公開に先立って、大修理が施され、下書きの存在など、新たな発見があったと言います。とりわけ「柏木」の修正箇所をクローズアップしていました。妻の女三の宮の不義により生まれた子を抱く光源氏は、他には見られない正面からのショットでした。光源氏の複雑な表情や、子を抱く腕の位置は修正されたもののほうが遙かに優れていると思うのですが、子どもが手を引っ込めてしまった図はあまりにも平穏で、静かすぎる感じがするのです。何も知らない赤ん坊が、本当の父親でない者に無意識に手が伸びるという悲劇性を感じさせる下絵のほうが私にはおもしろいと思うのですがどうでしょうか。
 見逃した人には再放送を見ることを勧めたいです。

●900年の秘めごと~国宝・源氏物語絵巻~(2015.11.26放送、NHKサイトより)
 いま名古屋市にある徳川美術館で、900年前に製作された国宝「源氏物語絵巻」が公開され話題を集めている。国宝絵巻は、絵の具の剥落や料紙の損傷が激しかったため、4年に及ぶ大修理が施された。その過程で下書きが見つかり、謎に満ちた絵巻の製作過程が浮かび上がってきた。作家の瀬戸内寂聴さんと画家の山口晃さんとともに修理を終えた絵巻を見つめ、平安絵師たちが絵筆に込めた情熱に思いをはせながらみやびな世界を堪能する。
【出演】瀬戸内寂聴,山口晃,黒崎めぐみ,【語り】白石加代子

〔48〕日曜美術館「まど・みちおの秘密の絵」-まどさんの新しい発見がありました。

2015年09月28日 | テレビ・ラジオ・新聞
 2015年9月27日は法事があり、孫たちと芋掘りで遊んでいたので、日曜美術館は録画して見たのですが、まど・みちおさんの絵の世界にスポットをあてて、なかなか秀逸でした。まどさんをよく知る谷川俊太郎さんの語り口とコメントに心がふるえました。
まずはNHKの番組サイトでその概要を知ってもらいましょう。

 「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」「ふしぎなポケット」。日本中で愛される童謡の産みの親、詩人まど・みちお(1909-2014)。今からおよそ50年前にひそかに描きためた100枚以上の絵がある。
 その絵は、短く、平易なことばでつくられるまどの詩とはまるで似つかない。画用紙一面を細い線で塗りつぶしている。紙の地肌は削れ、波を打っている。何を描いたのかさえわからない不思議な絵。そこには一体どのような思いがあったのか・・・。
 まどが絵に没頭し始めたのは50歳を迎えたころ。戦後、児童雑誌の編集者と童謡作家の二足のわらじの生活を続けながら、「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」「ふしぎなポケット」などを生み出してきた。それは、童謡の創作に専念するため、退職してまもなくのことだった。「描いても描いても絵が描きたい。なんということだろう。」そんな言葉を残したほど、絵にのめり込んだ。しかし、それらの絵は完成した後、押し入れにしまわれた。長いあいだ誰にも見せないままだった。
 絵に没頭したのは3年半のあいだ。そののち、まどは童謡を離れ、自由詩に活動をうつした。そして、独自の宇宙観にあふれる詩の世界をつくりあげた。詩人は絵を描くことを通して何をつかみとり、そしてどこへたどり着いたのか。
100枚におよぶ秘密の絵から、まど・みちおの知られざる姿を見つめていく。

 まどさんの絵といえば、数年前に確か川崎の美術館で鑑賞したことがありました。私は象の絵が一番気に入っていて、学級通信などにカット絵として使わせていただいたものでした。
 今回のまどさんの絵は、研究者の谷悦子さん(梅花女子大学名誉教授)が発掘したものと言っていいようです。谷さんは、かつて小学校の教師をしていた時期があって、新美南吉や、阪田寛夫などの研究者としても知られているようです。彼女の著作です。

『新美南吉童話の研究 文学教育の実践をめざして』くろしお出版 1980 大阪教育大学国語教育学会双書
『まど・みちお詩と童謡』創元社 1988
『まど・みちお 研究と資料』和泉書院 近代文学研究叢刊 1995
『阪田寛夫の世界』和泉選書 2007
『まど・みちお 懐かしく不思議な世界』和泉選書 2013

  谷さんの本とともに読んでみたいのが、『続 まど・みちお全詩集』理論社、6,500円(税込7,020円)です。谷川さんが番組で教えてくれたものでした。続編が出ていたのですね。亡くなった名編集者の伊藤英治さんはこれを手がけていたということはお連れ合いの手紙で知ってはいたのですが、市河紀子さんが引き継いだんですね。この刊行にはびっくりでした。
 手に入れたいけど高価なのでどうしようかな、と思案しているところです。(下掲の文は、理論社のサイトより)

 「身近な生き物から宇宙まで、この世界の不思議を100歳まで詩に詠み続け、昨年104歳で亡くなった詩人まどさん。1990年代以降の詩500編余に、新たに見つかった若いころからの詩約200編を補遺として収録。詳しい年譜、著作目録、総索引も収録。」
●編集者コメント
「ぞうさん」で知られる詩人 まど・みちお『全詩集』待望の続篇。1992年刊行の『まど・みちお全詩集』と今回の『続 まど・みちお全詩集』の2冊で、まどさんの約80年間にわたる詩業の全貌を伝えることを目指しました。(伊藤英治/市河紀子 編、サイズ A5変型 発行 2015年9月 576ページ)
〔参考〕『続 まど・みちお全詩集』発刊の記事、「まど・みちおさん流 20代のシュール」朝日新聞、2015.9.29(夕刊)
     「まど・みちおを遊ぶ」、拙著『実践的演劇教育論』(晩成書房)に収録。

〔28〕 BS朝日「黒柳徹子のコドモノクニ」は未知のことを発見できる番組ですね。

2015年05月20日 | テレビ・ラジオ・新聞
 現在、BS朝日開局15周年記念ということで「黒柳徹子のコドモノクニ」が放送されています。毎週水曜日、午後10時からの1時間番組です。『コドモノクニ』は戦前に出された雑誌なので、私が知らないことも多くて、おもしろく毎回見ています。
 番組のサイトに次のような〔番組概要〕が出ていました。

黒柳徹子がBS民放初のレギュラー番組に挑戦!
藤田嗣治、竹久夢二、野口雨情、北原白秋…
大正から昭和にかけて愛された絵雑誌『コドモノクニ』を
つくった芸術家たちの人生をたどり、未来へ伝えたいメッセージをひもとく。
藤田嗣治、東山魁夷、竹久夢二、野口雨情、北原白秋、西條八十、中山晋平…。
絵画、詩、童謡…さまざまなジャンルで子どもたちのために本気になった大人たちの思いとは? 
黒柳徹子が今、未来へ続くメッセージを届ける。
現代の芸術家・著名人が『コドモノクニ』からインスピレーションを得て生み出す新作にも注目!

 まだ見ていない人のために、18回目までのメニューも紹介しましょう。

⑴片岡鶴太郎が巡るサトウハチローの世界
僕は不良少年だった…
童謡詩人が母に捧げた愛の詩
⑵児童文学者・村岡花子の命を懸けた物語
『赤毛のアン』 誕生の秘密
⑶奇跡のコラボ!村岡花子と中原淳一
発掘秘話!美智子さまとの出逢い…
⑷美智子さまが愛した童話作家・新美南吉
名作『でんでんむしのかなしみ』誕生秘話
⑸美智子さまが愛した詩人 まど・みちお
名作『ぞうさん』"幻の楽譜"を発見!
⑹日本画の巨匠・東山魁夷 
若き日に描いた童画の世界
⑺風景画の天才・東山魁夷
川端康成との交流秘話
⑻夏目漱石が絶賛した漫画家
コミック漫画の草分け・岡本一平
⑼芸術は爆発だ!岡本太郎 「太陽の塔」に込めたメッセージ
⑽子どもの心を見つめ続けた
絵本作家・いわさきちひろ
⑾子どもたちに夢を!
"童画の父"武井武雄
⑿伝説の絵雑誌を創った
編集者・鷹見久太郎
⒀竹下景子が巡る大正ロマン!
美人画の天才・竹久夢二
⒁竹下景子が巡る感動の旅!
名作童謡の作曲家・中山晋平
⒂安田祥子が巡る!
北原白秋 童謡の世界
⒃安田祥子が巡る!山田耕筰
「からたちの花」の秘密
⒄よみがえった幻の童謡詩人・金子みすゞ
⒅戦後70年特別企画
倍賞千恵子が読む、哀しみの戦争絵本!
⒆戦後70年特別企画
「原爆の図」を描いた女流画家・丸木俊!
⒇大正モダニズムを描いた画家・岡本帰一
㉑いわさきちひろが愛した童画家・初山滋
㉒加藤登紀子が巡る
日本のアンデルセン・小川未明
㉓加藤登紀子が巡る童謡詩人・野口雨情の世界
㉔やくみつる感激!躍動する動物たちの世界
「シャボン玉」「赤い靴」…

 『コドモノクニ』は1922年(大正11年)1月に創刊、1944年(昭和19年)に23巻3号をもって休刊されるまで通算287冊発行されました。
 「既に発行されていた各雑誌でそれぞれ専属的に活動していた画家たちを集め、個性豊かな童画を載せることにより、芸術的な絵雑誌として高い評価を得た。大判・多色刷で、創刊期の大正モダニズムを背景とした芸術性、デザイン性を重視した作りは子供向けという範疇を超えて新たな芸術総合雑誌ともいえるものであった。」(ウィキペディア「コドモノクニ」より) 

 番組で紹介された詩などを調べてみたらおもしろいことがわかりました。現在私たちが知っている作者名と異なる表記にびっくりしました。明らかな誤植もあり興味深かったですね。(国立国会図書館国際子ども図書館のサイトによる)

   風
       ニイミ・南吉(ママ)

風は煙を
とつてゆく
ふとい汽船の煙筒から

風は口笛
とつてゆく
後かんぱんの水夫から

風は帽子を
とつてゆく
ブリツヂの上の船長から

風は旗をば
とつてゆく
尖つてたかいマストから
*10巻10号(1930年9月1日)

  竹とんぼ
       金子みす(ママ)

キリリ、キリリ、竹とんぼ、
あがれ、あがれ、竹とんぼ。

二階の屋根より まだ高く、
お寺の松より まだ高く、
桂木山より まだ高く、

私のこさへた 竹とんぼ、
私のかはりに、あアがれ。

キリリ、キリリ、竹とんぼ、
あがれ、あがれ、竹とんぼ。

お山の煙より まだ高く、
雲雀の唄より まだ高く、
かすんだ空より まだ高く。

けれども、きつと忘れずに、
ここの小みちへ かアへれ。
 *15巻7号(1936年6月1日)


  雨ふれば
        まど・みちを(ママ)

雨ふれば
お勝手も
雨の匂してゐる。
濡れた葱など
青くおいてある。

雨ふれば
障子の中、
母さんやさしい。
縫物される針
すいすいと光る。

雨ふれば
通りのもの音、
ぬれてゐる。
時をり
ことり などする。
  *13巻14号(1934年12月1日)