思うがままに

Step by Step

人間ドック

2011-06-04 | ひとりごと

「セカンドハウスを買いたい」という私の我がままに
妻は「あなたの身体のこともあるから、その前にちゃんと人間ドックで調べてもらって私を安心させて!」と言いだした
ごもっともな意見・・・

5月12日
人間ドックへ
初めての人間ドック
人間ドックって、保険が効かないから高いだけだということを初めて知った
不安なのは最近胃の調子が芳しくないこと
それに、バリウムでは胃角変形が絶対指摘されるのが分かっているから不安になる
ここんとこ胃カメラも呑んでいないし
病院はいやだ
当日の検査で分かったことは、「胆石がある」 「尿蛋白陽性:1+」(疲れていたから??)

5月22日
人間ドックの結果報告書が届く
胃部X線検査で「胃体下部小弯側:陥凹性病変を認めます 胃炎を認めます」という項目があった
落ち込んでしまう
ネットで調べてみると、一般的に陥凹性の場合は癌ではないという情報もあったので少しは安堵した

5月23日
診断結果を持って病院へ
検尿した結果は問題無し(尿蛋白陽性:1+と出た時はやはり疲れていたからか?)
胃カメラの予約を入れる

5月28日
胃カメラ受診
毎度、このカメラにはどっと疲れてしまう
映し出されたディスプレーに潰瘍を見つけた
潰瘍は見ただけで良く分かる
やはりなぁー 調子が悪いはず
サンプリングされるとチクッと胃に痛みが走った
医師は「潰瘍の方は良性のように思いますが・・・ ピロリ菌は間違いなく陽性です」と言った
薬をもらって帰宅
これを飲み出すと胃の調子が快方に向かった

6月3日
妻が玄関で「今日がカメラの結果やね」と言った
「うん」と私は返事したが、心中は穏やかではない
昼過ぎに妻から電話がかかる
「どうやったん?」と心配そうに話した
「病院は5時から・・・」と返事
もし悪性やったら・・・
病院での受付から自分の番が回ってくるのが長く感じた
・・・
結果は良性だった!
ほっとした!
妻に電話を入れた
「潰瘍の方は良性やった 心配掛けて悪かったなぁ」
ほっとしたような妻の声を聴いて ふたりはやはり夫婦だと思った


薬を飲むことで食欲も増してきたしご飯がおいしかった
これでピロリ菌も全滅してくれたら・・・


ところで、人間ドックを受けて妻を安心させたら、セカンドハウスへの夢が前進するはずだったが
????


義援金

2011-03-22 | ひとりごと

地震発生から11日目
ずっと何もできない自分がもどかしくてしょうがなかった
妻と話し合って義援金をすることにした
多くの被災者にとっては僅かなお金かも知れないがちょっとでもお役に立てればと、そんな願いで郵便局へ行った
受付で払込用紙を受け取り住所と名前を書き込みお金を渡した

       

帰り道
妙に胸のつかえが下りたように清々しい気持ちになったが・・・
ふと瓦礫の中で淋しそうに泣いている犬の姿を思い出した
あれは下水処理場へ続く被災地の道
私は涙を流しながら現場へと歩いた
被災したのは人間だけではなかったことをあの時知った


原発記事 '11.03.18

2011-03-18 | ひとりごと

3月17日、自衛隊による上空ヘリからの海水投下(計4回)、地上からの放水が始まった
ヘリから投下された海水の殆どはピンポイントを外れ、プール容量と比較すれば焼け石に水のような感じ、地上からの放水の効果も殆ど変わらないような状況だ

原子炉廻りの状況が分からないから、解説者は推論でしか現状を語れない
ビデオカメラ搭載の遠隔操作できる無人ヘリのようなものは無いのか? プラモデルのようなものでも
そんなことを素人の私は前々から思っていたのだが、実現しないのは何か特殊な事情があるのかも知れない

事態は改善に向かうのか? 不安は払拭されない


竹内編集委員の記事




原発記事 '11.03.17

2011-03-17 | ひとりごと

福島原発の姿は地震発生当初から激変してしまった
度重なる水素爆発、白煙発生、燃料棒露出、

TVで解説者は建屋内の可燃物が・・・ケーブル類が・・・というが、その場合なら黒煙がでるのではないか?
白煙ということは過熱した燃料棒による水蒸気だと私は思うが・・・
そして、放射能数値が発表されるたびに、この数値は安全だ 心配する数値ではないと大合唱する
果たして本当にそうなのだろうか?
解説者の話ぶりに不信感が募る
今は風向きが幸いしているだけではないのか?
もし、海から陸へ向かっての風が吹けばどうなるのか?
この状態がいつまで続き、いつ終息するのか?
海水注入で濃縮した塩濃度はどうなるのか?
既に廻りは大量の塩が析出してしまって燃料棒が冷やせない状態ではないのか?
海水注入をいつまで続けなければならないのか?
そんな話題を誰も語ろうとしない
「今」が大事なのは分かるが、「これから以降」の事態を想定することも必要だ
米政府は在日米国人の80km範囲の避難を指示した
・・・で、福島県民はどうする? 茨城県民は?
不安を煽る報道は自粛すべきかもしれないが、最悪事態を想定した報道も必要だとも思う
それは、人命を守ることにも繋がる

そんな中、現場では決死の作業が続いている
辛い・・・


竹内編集委員の記事


原発記事 '11.03.16

2011-03-16 | ひとりごと

原発の状況は日に日に悪化していく
一方、石原東京都知事は「天罰」発言を撤回
世の中、日本の将来を左右するほどの権力者や知見者が自分が発した言葉を事態と共にどんどん変えていく
何と空しいことか・・・

阪神淡路大震災を体験し、その後、連日被災地を歩いて下水処理場へ向かい復興に携わった
被災された人々の苦しさは重々理解しているが、今は原発のことが気掛かりで仕方がない

竹内編集委員の記事






原発記事 '11.03.15

2011-03-15 | ひとりごと

海水供給のための消防ポンプの燃料が無くなって止まっていた! というとんでもないポカミスをTVが報道した
極限状態の現場作業員の心情は計り知れないが、どうしてそんなことが起こってしまったのか?

今朝の新聞の記事(竹内編集委員)


驚愕の新聞記事

2011-03-14 | ひとりごと

昨日、地震のマグニチュードが8.8から9.0へと修正された
TVは連日地震の情報を流し続けている

3月14日(月) 朝刊を読む
そこに私を驚愕させた記事があった
それは放出弁のことだった



仕事柄、このような安全に対する考え方はいつもつきまとう
フェイルセイフという考え方だ
但し、万が一をどこまで想定するか? また想定すべきか? そのことはいつも議論を呼ぶ

この原発では厳しい設計基準や品質基準、検査基準を通過して施設は出来上がり、その中には過度とも思えるフェイルセイフの思想が反映されたものと思われる
しかし、最悪の事態を想定した「放出弁」が当初の計画には無かったことを知って驚いた
その後の設計変更によって「放出弁」が装備され、現段階では最悪の事態は免れているようだ
もし、その「放出弁」が無かったら大惨事になっていた・・・と思うと身の毛がよだつほどぞっとする

そして、『「想定外の・・・・」の繰り返しでは片づけられない』という新聞記事の言葉が私の心に重くのしかかる・・・


大地震発生

2011-03-11 | ひとりごと

3時前だったか
差し迫った仕事の最中に、ぐらぐらとマンションが揺れた
どこかで地震が起きたのか? それとも阪神淡路大地震後のちょっとした地殻変動なのか?

それからしばらくして会社から妻が電話を掛けてきた
「うちのマンション ヒビが入ってるし弱ってるから・・・ こっちもだいぶ揺れたよ 何かあったら外に出てよ!」と心配していた

何事も無かったようにまた仕事

ふと地震のことが気になってネットを見てみた
東北沖を震源とする地震が発生したらしい
まあ そんな大したこともないだろうと思っていたが・・・・
とんでもない大地震だったということが分かった

1995年1月17日 朝まだ薄暗い中で激震に見舞われたあのことが蘇った
怖かった!!

でも、この地震はあの阪神淡路大地震の比じゃない!

マグニチュード8.8 大津波発生
津波に呑みこまれる家、逃げまどう車、激流、燃えさかるタンク
阿鼻叫喚の世界をテレビが映し出す

これが現実か? 嘘であって欲しいと思った

これから いったい どうなるのだろう??


年賀状の印刷

2010-12-20 | ひとりごと

今年もあと少し
時が流れるのが早すぎる

いつもの年賀状印刷をしなければ
どの写真を使おうか?
今年撮った写真を振り返る
写真を見ながら あれっ? これ今年? っと そんな思いにふけりながら
母と一緒に撮ったもの、巨木と一緒に撮ったもの、初めて見た山野草の花、そして山を入れることに

カラープリンターのお出まし
裏面だけの印刷に1枚あたり約1分半
喪中が多かったから今年は125枚

一日仕事。。。。


年一度の親孝行

2010-11-25 | ひとりごと

11月13日(土)
姪っ子の結婚式のために奈良に帰郷
久し振りに姪っ子と対面、立派な女性になった
新郎も優しそうな好青年
兄貴の嬉しそうな顔、義姉のホッとした顔が印象的だった

11月14日(日)
月曜日は妻が休暇が取れないとのことで、急遽 妹との同行で母と3人で和歌山/栖原温泉へ
妻を近鉄高田駅で降ろし、妹の家に向かった
妹と一緒に旅行するのが初めてなので、やや緊張する
山々は紅葉が始まって綺麗
だから、高速を使わず、のんびりと24号線で和歌山へ向かった
奈良育ちの母も妹も海が観たいだろうと海岸沿いを走った
お昼は「高よしパークホテル」(有田市)のレストランでちょっと高いお膳と棒寿司を注文して3人で分け合って食べる
吸い物は3人分も用意して下さって感謝
その後、醤油発祥の地/湯浅(重要建造物群保存地区)の街並みを散策
妻に頼まれていた金山寺味噌を買う(1000円のを2つ(その内のひとつを実家に戻ってキュウリにつけて食べる 旨い!))
16時頃、栖原温泉へ
玄関まで行こうとしたら細い道にビックリ、前から車も来てバックしながら戻った
クエ鍋と地魚の料理
母も妹もご満悦の様子に私もホッとする
そして、母を説得して、我が家によぶことになった (やっと私の念願が叶う)
それにしても、妹も母も良く喋る
昨年は妻と3人で熊野へ行ったが、やはり母にとっては実の娘の方が気が楽なようだ  それも当然と言えば当然

11月15日(月)
朝食までの時間をひとりで辺りを散策
栖原海岸が見渡せるへも足を伸ばした
朝食はあっさりしたものだったが、美味しかった
この旅館でお土産も購入して出発
広川ICの近くのみかん直売所で兄妹へのお土産としてみかんを調達
日の岬に行くか、それとも白崎海岸にするか?
近い処で白崎海岸へ こんな所に白亜の海岸があったとは驚き
しかし、風が強くて肌寒い!
この後、龍神から高野山へ向かうスカイラインを走ろうと思ったが、私自身がお疲れモード
妹と母には悪いが高速を使って奈良に戻ることにした
途中、紀ノ川SAで3人とも和歌山ラーメンを食べる  それほど美味しいものではない
阪和自動車道は初めて
南阪奈道路が奈良に入る辺りで奈良盆地が眺められた 美しい!
妹を先に下ろして、実家に戻る
夕食はカニスキ
良く呑んですぐに寝てしまったが、4時ころ目が覚めてしまった

11月16日(火)
庭や玄関の掃除をして、朝食
いつも入れてくれるモーニングコーヒーが美味しい
車椅子を積んで母と二人で神戸へ向かう
下道を走ると大坂では渋滞だらけ いやになる
六甲道の墓地に立ち寄る
母は妻の両親やご先祖様に対し小さな声で挨拶をしていた
そんな姿が私にはおても嬉しく感じた
墓地を後にして六甲山へ車を走らせた
六甲山の紅葉がこんなに綺麗だとは知らなかった
母は「わざわざ和歌山へ行かんでも、こっちの方がずっと良いわ!」と言い出した
そうかも知れない
妹も一緒に神戸に連れて来てあげれば良かった・・・と、後悔した
お昼をどこで食べようか? と考えている間に我が家に着いてしまい、荷物を整理している間にすっかりお昼を抜いてしまったことに気付いた
夕食は奈良で貰ったカニでカニスキの連チャン

11月17日(水)
母は良く寝れたと言ってくれた
「今日は近くの海へ行くよ」と言うと「昼から国会中継があるからそれまでに帰ってくれる?」と母が言いだした
『国会中継??』 まあ 母らしいと言えば母らしい
大蔵海岸を歩く
ここで弁当を食べようとしたが肌寒く、母は「家に帰っ食べようよ」と車に戻った
途中、ホームセンターに立ち寄った
裏庭の手入れ用の「鎌とサラエ」を買ってあげた
家に戻ってコープで買ったお寿司を食べる
母は良く喋るしTVのボリュームも大きく、いつも静かに暮らしている私には少し疲れる思い
姉から電話が入った
母に受話器を渡すと、今日のこと昨日のこと、ホームセンターで鎌等を買って貰ったことを延々と話していた
その話ぶりに、まるで母と姉とは姉妹のように思えた
TVの前で国会中継を観る母
私も少しそれに付き合うが、眠気に誘われていつしか眠ってしまった
夕食の用意をする
母は私の姿を微笑みながら見ては声を掛けてくる
妻も帰宅して3人で夕食
女同士の語らいや笑い声  これ、結構疲れる。。。。
母が眠る前に妹に電話を掛けて母と話をさせてあげた
嬉しそうに娘と長話をする母
それが、私には心が和む瞬間だ

11月18日(木)
「今日は何処へ行こ?」と母に尋ねると「今日は朝から国会中継があるから、それを観るわ・・・」
そうか、今日も国会中継か・・・
お昼は明石焼き  母にとっては初めてらしい
それからまた国会中継
私も少し付き合う
管内閣には失望! 法務大臣と岡崎さんもさっぱり 痴呆が混じってるのか? よっぽど母の方が頭が切れる!
ぼやきながら観ている母は大したもんだ! きっとまだまだ元気で長生きしてくれそう!

11月19日(金)
もう6:15
母は未だ寝てる? 大丈夫? と、妻も私も心配になる
しばらくして「よう寝たわ・・・」と笑いながら起きてきた
今日は国会中継もないしポカポカ天気になるとのことで外出しよう!
いや、国会中継は今日もあった・・・
しかし、無理やり母を外へ連れ出した
神戸ワイン城へ
小春日和のような陽気だ
車椅子を押しながら場内を一周
母は満足の様子
喫茶室できつねうどんとたこ焼きを食べ、売店で奈良へのお土産も買う
片手にお土産を持ち片手で車椅子を押して車へ
(ここで、車椅子置き忘れ事件発生!)
今日も海を見せてあげようと江井ヶ島へ
そして14時頃に帰宅
車のハッチを上げてみて車椅子が無いのに気付いた
ああー神戸ワイン城の駐車場に置き忘れて来たぁー
急いで戻ると、駐車場にポツンと車椅子が・・・ 良かったぁ 

11月20日(土)
今日も良い天気
妻と母と3人で舞子浜を散策
母と二人だけでぶらぶらと歩くより、やはり妻が居てくれると安心感が増す
明石大橋のプロムナードへ
身障者とその介護人は無料、妻だけが300円を払って入場
神戸側と明石側の眺望に母は大感激
車椅子から母を下ろして、真下が透けて見えるガラスの床を歩かせてあげる
母は恐る恐る床を歩いて子供のように「怖いわー」と声を上げた
そんな母を見てると神戸に連れて来てあげて本当に良かったと思った
家に戻ると多少疲れたのか夕食までの間、仮眠をとった
夕食も美味しいと言ってくれた
田舎の妹と姉に電話を掛けて受話器を母に渡した
大きな笑い声を上げながら今日のことを話したり、田舎の出来事を聞いていた
母が受話器を私に渡すと、妹が静かな声で「お兄ちゃん ありがとう ありがとう ありがとう・・・」と呟いた
20時頃、母は床についた

11月21日(日)
今日は更に昨日より良い天気
妻の提案で花鳥園と神戸空港へ
花鳥園では花が好きな母はとても満足気
私も妻もここへ来るのは初めて
案外楽しい所だ
池のカモや魚にえさをあげる母  子供のような笑い顔
園内で昼食
そこから神戸空港へ
飛行機が近くに見れてとても嬉しそうだ
離陸すると「やー 大きな音がするんやなぁー」 と
もう何年も飛行機に乗っていないようだ
そして、「良かった 良かった」と何度も言ってくれた
家に戻ると、母はまた少し横になって眠った

11月22日(月)
母が起きてきたのは6:40頃 「よう寝たわー」
明日は奈良へ母を連れて帰る日
母は息子の家で厄介になることが「長いなぁーと思たけど、あっと言う間やったわ」と呟いた
もう少し居てもらっても良いけど、今回はこれくらいの方が母にとっても気兼ねせずに居られる適度な時間のように思える
今日は撮りためた写真の整理とプリントアウト、田舎で使う花用の土の買い出し等で手が一杯
母はTVの前でずっと過ごさせることにした
出来上がった写真を見せると「もう出来たん?」と喜んで見ていた
妻が帰宅して最後の夕飯はカニスキ
美味しそうに食べる母

11月23日(火)
7:30頃、出発して斑鳩ICを降りた
車で斑鳩の里をぐるっと回って田舎へ
神戸で買ったカーペットをホームコタツの敷いてあげた
長男は京都に所用で出かけているらしい
義姉と姪っ子と話をして、妻を黒滝~洞川~みたらい渓谷~309号線~169号線を走り19:20頃に帰宅
電話の着信が6本あった
全て母のようだ
母に電話を掛けると「遅かったなぁー 4時から電話してたんやでぇー」と心配症の母の愚痴を聞かされた
でも、そんな母の気配りが嬉しかった
母の居ない我が家で遅い夕食を妻と二人でとったが、淋しく感じた

11月24日(水)
朝一番、母に電話をかけた
「よう寝た? 疲れ出てない?」
「よう寝たよ 大丈夫!」と元気そうな声を聞いてほっとした
「ありがとう ありがとう」 と、母は言って電話を切った

11月25日(木)
疲れが出てないかなと心配になって、今朝も母に電話を入れた
「元気やで 朝起きた時、ここは神戸やろか?と思たわ・・・」と言っていた
私の実姉に神戸のことを色々と話してあげたとのこと
嬉しそうに話をする母に ふと眼頭が熱くなった


また、来年 母を神戸に呼んであげよう
元気なうちに私を育ててくれた母に僅かでも感謝を心から伝えたい