平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

蘇我氏滅亡の真相

2019-12-06 16:00:10 | 古代史と聖書
645年の乙巳(いっし)の変で滅亡した蘇我氏。しかし、中大兄皇子と中臣鎌足によるクーデターと片付けるには蘇我氏に謎が多すぎます (ーー;)

例えば、大和民族がイスラエル12部族なのに対し、蘇我氏はソグド人です。ソグドの音韻から蘇我が当て字となった。古代史では混同されていますが、朝鮮半島や中国大陸からの移住者は民族に関係なく帰化人と一括にされています。でも大切なのは民族的背景なのです。

大和民族はイスラエル12部族だから様々なルートを通って西アジアから東アジアに来て、中国大陸や朝鮮半島から海を渡ってきた。その通り道にルーツを示す痕跡を残してきたのです。また新撰姓氏録には豪族や貴族のかつて住んだ西アジアの地名が見られる。

秦氏は西・中央アジアの弓月出身ですが、弓月は月をシンボルとした、バビロン出身を指します。秦のシンという読み方はバビロニアの月神シンから来ているのです。神のシンも。

また秦はローマですから、バビロン虜囚を経験した秦(ローマ)のユダ族(南ユダ王国)という意味なのです。バビロンの虜囚から解放され、一部はそのまま月をシンボルとした月氏(後の大月氏)になり、一部はエルサレムに戻りローマの属国となった。それぞれが別ルートで日本に来たわけです。ちなみにハタはエジプト語で始めを意味します→初。

和田という氏族は于闐(ウテン=ホータン)の出身で和田と書いてホータンと読む。中村医師殺害でペシャワールが注目されていますが、ペシャワールは弗楼沙と書いてプルシャプラと読まれました。

ソグド人は康国(サマルカンド)や石国(タシケント、タシュケント)に住んでいた。タシュケントはウズベキスタンの首都です。蘇我一族に蘇我倉山田石川麻呂がいますが、山田の山は天山山脈を指し、石川は中央アジアのシルダリア川となります。天山山脈近くにはイシク・クルという湖がある (@@;)

湖だった大和盆地がアラル海という位置付けで、蘇我氏は明日香を故郷の中央アジアに見立てたのです。


1989年のアラル海(今は干上がっている)


カシミール3Dで作成した古大和湖(湖だった大和盆地)
古墳は水際に作られた灌漑のための施設だと分かる
もっと以前は南の大和三山や東の山の辺の道まで湖だった


ソグド人は有能な商人だから、騎馬民族で鉄を扱う突厥(とっけつ=トルコ=タタール)と一緒になって古代中国の西晋に羽根を伸ばし、やがて朝鮮半島経由で日本に渡った。中臣鎌足は突厥=トルコに居住したイスラエル12部族の祭司(ナイルのオブ神官)だったから、本名の中臣鎌の後ろにタタールのタリ(足)を付けて鎌足と呼ばれているのです。

乙巳の変で生き残った古人大兄皇子は、「韓人(からひと)、鞍作を殺しつ」と言いました。この言葉に蘇我氏の謎を解く鍵が全て含まれていたのです。

鞍作とは蘇我入鹿のことで、入鹿は林臣が正式な名前。この場合の林は百済や新羅の名前ではなく、プリンを指していたのです (^q^)

けれど、プリンは食べ物ではなく東ローマ帝国のコンスタンティノープルのこと。拂菻と書いてフツリンが一般的な読みですが、佐伯博士はエフライムのことではないかとしています。この拂菻が転訛して林になったと僕は考えています。

さらに、鞍作も司馬の鞍作であり、司馬は西晋皇帝の司馬炎(武帝)がルーツ。ここから、止利仏師と呼ばれた司馬鞍作首止利仏師は西晋出身とわかります。以上から蘇我入鹿は西晋出身のソグド人で間違いなし。

蘇我氏がイスラエルの12部族なら大和政権の特殊性は理解できたはず。天皇はただの権力者や祭司ではなく、王・預言者・祭司の三権の一つであるイスラエル王であらねばならない。飛鳥説のように天皇が祭司なら王が欠落していることになる(預言者はウリだとして) (;´Д`)

ソグド人の蘇我氏は天皇の資格はなかった。百済派の中大兄と新羅派の蘇我氏という対立もあっただろうけど、本質はイスラエルの権力構造に深入りして滅ぼされたのです。

しかし、康国(サマルカンド)を名前に持つ徳川家康も名前でソグド人と分かる。商人のソグド人から三河商人が生まれとた考えるのは自然。また、桜島が噴火する薩摩も、康国(サマルカンド)の別名に薩末鞬という地名があるから、おそらくはソグドがルーツなのだと思います (^_^;)
コメント (8)
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