平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

『万葉集』と原始キリスト教

2007-08-31 09:03:09 | 古代史と聖書
 ここしばらくは古代史の方を更新していなかったのですが、ようやく『私だけの古代史第五部・万葉集編』(右クリックで新しいタブで開く)の掲載を始めました。いつものように12章構成の予定ですが、まだ5章目を書き始めたばかりなので、先行きは未定の見切り発車です。

 今回の目玉は、歌聖と謳(うた)われた柿本人麻呂の正体です。第四部で明らかにしたように人麻呂は祭司コーヘンなのですが、人麻呂は仮の名前です。その正体は、とある大人物なのですが、これをどの章に組み入れるか思案中です。勘の良い人なら、公開済みの1~3章で察しが付くようには書いていますので、推理したい方はチャレンジしてみて下さい。

 ところで、最初の勅撰歌集である『古今集』には、漢文の真名序(まなじょ)と平仮名を交えた仮名序(かなじょ)があって、仮名序では『万葉集』と人麻呂を称(たた)えています。どうして二つの序が必要だったのでしょうか?実は、この二つの序こそ、『万葉集』の特異な性格を指摘するものだったのです。

 結論から言えば、『万葉集』は奈良時代に弾圧された原始キリスト教側の歌集です。のっけから聖書の知識が要求される歌で始まるのですが、その聖書とは新約の『ヨハネによる福音書』です。雄略天皇の作とされるコモヨで始まる歌は、『ヨハネによる福音書』にしか登場しないエピソードで成り立っていたのです。詳しくはこちら(右クリックで新しいタブで開く)。

 今回は万葉集編と名乗ってはいますが、大部分は『万葉集』の解説でも注釈でもありません。『万葉集』を通して、隠された歴史の真実を掘り起こそうというのが基本姿勢ですから、細かな解釈は読者に任せきりです。まあ、歌というのは本来、多様な解釈が可能な訳で、共感も否定も織り込み済みです。

 『万葉集』が編纂された時代背景には、日本がイスラエル12部族の国家として、言葉を換えるならば、北イスラエル王国と南ユダ王国が融合した国家として成立すべく、アメリカ重視と中国重視が対立する現在の日本と似た苦悩があったのです。奈良時代は、北イスラエル系の仏教(開祖はダン族)が、親唐の立場から優位に立ち、原始キリスト教を隠れキリシタンに追い遣った時代なのです。

 仏教と漢文がセットであったのとは反対に、弾圧された原始キリスト教側の人達は、仮名書きの歌を詠む事でキリスト者として確認し合った。それが分かれば、柿本人麻呂や山部赤人が仮名(カナ書きとペンネームを掛けている)である事は簡単に推理できます。問題はその正体が誰なのかですが、しばらくは推理してお楽しみ下さい。

     エフライム工房 平御幸
コメント (1)
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