私的美遊空間

美しく愛しいものたちへのつぶやき

古代アメリカ*マヤ文明展*①都市遺跡、球技場、石碑 BIZEN中南米美術館・岡山県備前市日生町

2023年04月16日 | 時空を超えて来たものたち

*~ マヤ遺跡 都市図 ~*





グアテマラのマヤ文明は
メキシコのアステカ王国やアンデスのインカ帝国と並んで
有名な文明ですが、いったいどんな文明なのか
ほとんど知識のない状態でした。

この度
BIZEN中南米美術館でマヤ文明展があるということで
会期終了近くになって、やっと行って来ました。

※撮影 3月16日




 *~ マヤパンの遺跡 ~*

後古典期に繫栄したマヤ低地北部(ユカタン北部)で
中心だったチチェン・イッァが衰退した12世紀頃から
覇権を握り、15世紀半ばまで栄えた都市。マヤ都市の
体裁は整えていたが、建造物は粗雑な作りだった。
スペイン人の到着を待つことなく、内乱で衰退した。
~ 説明文より ~

後古典期 マヤ文明の栄えた紀元300年~900年間の内で
紀元600年~900年の後期年間を指す。



*~ 古代メソアメリカ文明マップ ~*

グアテマラマヤ文明圏の中でもよく聞く
マヤパンチチェン・イツァーティカルコパン
を赤やオレンジ色でマークしました。



*~ 球技場の遺跡 ~*

ティカルの球技場(グアテマラ)コパンの球技場(ホンジュラス)
イシムチェの球技場(グアテマラ)・パレンケの球技場(メキシコ)





*~ ボールコートマーカー(平面拓本)~*

これは、チンクルティック(メキシコ)の
ボールコート(球技場)のピッチに埋められていた
マーカー(平面的な記念石碑)の拓本です。

中央にいるのは王様、胸、腰、膝にプロテクターを着けて
大きなゴムボールを腰でヒットしている様子。





*~ メキシコ チンクルティック遺跡・球技場 ~*
古典期後期 紀元591年





*~ 彩文深鉢 ~*

グアテマラ 
マヤ南部低地
古典期後期 紀元600~950年

中央に描かれているのは、サッカーのような
儀式の団体球技用のゴムボール。
中まで詰まっていて、とにかく硬くて重いから
プレーヤーはプロテクトをつけて試合をした。
負けたら生贄になったから、ホントの真剣勝負



*~ プロテクターを着けたプレーヤ― ~*

球技は敵味方1~5名ずつの2チームに分かれて
1つのボールをゴールに入れたり、当てたりした。

この球技はマヤやメソアメリカ全体、一部アンデスでも
行われた宗教儀礼で、時にはスポーツだった。

いつもは王様もプレイしていたが
特別なお祭りの時には捕虜も参加させられた。
捕虜負けたチームのメンバーは神様の生贄になった

会場の球技場はマヤの都市の中心部の代表的な施設
大都市には数か所~十数か所もあった。
最大の球技場サイズは、マヤ低地北部の大都市
チチェン・イツァには合計13か所、南部高地の
カラナルフユは12か所もの球技場があった。

*~ 説明文より ~*

捕虜が生贄になるのは分るけど
負けただけで生贄にさせられるなんて、怖いですね~💦



*~ ティカルの石碑 (レプリカ)~*
ハサウ・チャン・カウィール1世
グアテマラ

彩色された王の姿
⇩⇩⇩

緑色は神聖な色とされ
王が兜や背中の飾りに王の鳥ケツァルの羽根や
翡翠のアクセサリーで全身を飾った。



*~ ハサウ・チャン・カウィール1世の墓所(神殿)~*
ティカルの遺跡

この王は、戦国マヤ随一の偉大なクフル・アハウ(神聖王)で
紀元562年,母国ティカルを破り権勢を誇った
宿敵カラクムルを695年に打ち破った英雄。

この神殿はハサウ王の主な儀式の場であり
亡くなったあと墓所となった。






*~ キリグアの石碑 ~*

グアテマラ東部
古典期に繁栄したマヤ遺跡の一つ。
裏に碑文が彫られている。

キリグアは
始めはコパン王に支配(後見)されていたが
下剋上してコパン王を斬首した。
⇩⇩⇩

*~ ワシャクラフーン・ウパーフ・カウィール王の石像 ~*
コパン(ホンジュラス)

後見した衛星都市(従属国)キリグアのカック王に
下剋上され斬首までされた悲劇の名君。

※こうした石碑は特定の歴史上の人物に
捧げられたものと考えられている。



*~ 古代マヤ語族・移住マップ ~*



*~ 戦争の図 ~*

神殿を始めとするマヤの都市作りには多くの人手を必要とした
そのため、この当時の戦争は自国を守るためだけでなく
その建設に従事させる目的で
他部族(他国家)の男たちを捕縛するためでもあった。
※館長のお話より


* * *

なるほどねえ~
国を守ることや文化を守り発展させるのは
マヤ文明でも大仕事だったんですね。

昨日(4月15日・土)TVのふしぎ発見
「マヤ衰退・終わりの謎」について放映していました。

それによると
サン・クラウディオ湖の底に沈む年縞(ねんこう)には
10世紀・マヤ衰退時期にあたる
乱れた白い層と黒い層が発見された。

それは
干ばつや大雨の災害に襲われたことを表していた。
農耕民族であったマヤ族は
そのため衰退し都市を捨てて去って行った。

どんなに発展した文明でも
大自然には抗えなかったんですね。
現代の地球人にも耳の痛いことですね。

※続きますのでコメント欄はお休みしますね。
では、良い休日を(^_-)-☆


*~参考 館内説明文、館長のお話
「古代アメリカの文化と美術」(発行所 財団法人森下美術館)
写真は撮影、掲載の許可を頂いております。






コメント (2)
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