私的美遊空間

美しく愛しいものたちへのつぶやき

私は振られたの?どっち?

2015年08月07日 | 思うこと
山是山水是水、これは「山これ山、水これ水」と読み、その意味は
山は山として、水は水として完結しているということである。

山是山花是紅(山これ山、花これくれない」も同様、現実あるがままの情景、
明々白々な道理を述べた句であり、禅の修行が極まって無我の状態を得ると
そこには自も他もなく、「天地と我と同根、万物と我と一体」という
「自他不二」(じたふに)の境地に至る。
※茶席の禅語大辞典より



どうのこうのと言わなくても山は山、水は水!
私はこのすっぱりと言い切っている言葉が気に入っている。

先日しげしげとこの短冊を眺めていると、記憶の底に眠っていた昔の出来事が
むっくりと頭をもたげて、ある言葉がありありと思い出された。

それは中学3年のお正月のこと、日頃憧れていた同級の彼に年賀状を出した。
「私はあなたのことが好きである」みたいな告白めいた年賀状で、
その彼からの返信の年賀状には
「僕が僕以外の僕になれないように、君は君以外の君になれない。
だから僕たちは僕たち以外の僕たちにはなれない。今年もよろしく」とあった。

その時、単純な私は、僕たち以外の僕たちになれないのなら、二人は一緒だ!と理解した。
いつもシャイな彼は学校で会っても言葉を交わすこともなく、ただ彼の友達から彼の話を聞くのみで
なんとなく満足しているうちに、高校受験を迎え、別々の高校に進学してこの恋ははかなく終わった。



今、この禅語の意味を考えると、あの「僕たちは僕たち以外になれない」の言葉の
本当の意味はどうだったのだろうか、、と改めて不思議に思うのである。
実は、もっと冷静に客観的に考えれば、「僕たち以外の僕たちになりたくない」とあれば
確かにその年賀状は「OK]の返信だったのだとはっきり分かる。
でも実物は「なれない」とあるのだから、私の想いは否定されていることになるだろう。

ああ!それにしても、大した中学生だわ!
どこかの本の読みかじりかも知れないが、えらい勿体ぶってカッコつけて、、
今の私ならこちらの方から願い下げだわ!
こんな面倒くさい人と一緒にはおれない。

でも、まあね、、ぐさりと言って傷つけたらいけないと、彼も随分悩んだかも知れない。
単純に「二人は一緒!」と思いながら別れ別れになって、私にとっては良かったのだろう。
振られたことも分からなかったのだからね、今の今まで。
しかし、
本当のところは今でも不明なのである。

コメント (2)
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