白珪尚可磨 (はくけいなおみがくべし)

「白圭のかけたるは尚磨くべし。斯(こ)の言(げん)のかけたるは為む(おさむ)べからず」 詩経より
白珪は瑕(きず)がついても磨けばよいが、言葉はいい損なうと取返しがきかない。
それが転じて「完全無欠の清らかな玉も、さらに磨くべきである」とされた。
茶席の禅語としてよく知られる言葉で、禅の道にも茶の湯の道にも完成はない、
常に向上を目指して悟後の修行に打ち込むべきであるという戒めの言葉である。
※珪は「圭」とも書き、白く清らかな玉のこと。

先日のお稽古でこの短冊を掛けた。
もともと修行の足りない身であるが、仮にも人に教える者として
独りよがりになっていないか、心構えがおろそかになってはいないか、、
反省し、安易に流れず、不断の努力を、と心に誓う。
お弟子さんに言うばかりでなく、先ずは自分の身から。
頑張らなくては。

茶花は藤と藪椿
我が家の藤、蕾が日に日に大きくなってきている。
毎年このくらいの蕾の時期に茶室に生けるのを楽しみにしている。

桜の落雁 (らくがん)
京都のお菓子屋さんが作った干菓子。
落雁にしては花径5センチもあろうかと言う立派な桜。
このお茶目なお菓子に茶室が一気になごむ。
修行は鞭のみでなく飴もあったほうが、、

「白圭のかけたるは尚磨くべし。斯(こ)の言(げん)のかけたるは為む(おさむ)べからず」 詩経より
白珪は瑕(きず)がついても磨けばよいが、言葉はいい損なうと取返しがきかない。
それが転じて「完全無欠の清らかな玉も、さらに磨くべきである」とされた。
茶席の禅語としてよく知られる言葉で、禅の道にも茶の湯の道にも完成はない、
常に向上を目指して悟後の修行に打ち込むべきであるという戒めの言葉である。
※珪は「圭」とも書き、白く清らかな玉のこと。

先日のお稽古でこの短冊を掛けた。
もともと修行の足りない身であるが、仮にも人に教える者として
独りよがりになっていないか、心構えがおろそかになってはいないか、、
反省し、安易に流れず、不断の努力を、と心に誓う。
お弟子さんに言うばかりでなく、先ずは自分の身から。
頑張らなくては。

茶花は藤と藪椿
我が家の藤、蕾が日に日に大きくなってきている。
毎年このくらいの蕾の時期に茶室に生けるのを楽しみにしている。

桜の落雁 (らくがん)
京都のお菓子屋さんが作った干菓子。
落雁にしては花径5センチもあろうかと言う立派な桜。
このお茶目なお菓子に茶室が一気になごむ。
修行は鞭のみでなく飴もあったほうが、、