このたび、江別カルタ句㊱ 「あ」の句をご紹介いたします!
飛鳥山
江別屯田
公有地
飛鳥山は、野幌丘陵北端に連なる古砂丘群の一つで、江別兵村の公有地でした。
明治20年、琴似兵村から転任の野崎貞次少佐が、東京の飛鳥山に似ていることから名付けたと言われています。
丘は、その後、市街地の人々の格好のレクリエーション、集会の場となりました。
大正時代には、33歳観音後を祀る公園となり、桜も植えられ花見の名所となりました。
また、競馬場が設けられ、昭和3年から10年間、春秋に地方競馬が開催されました。
昭和25年に町営野球場が開設され、33年には都市公園に指定されました。
飛鳥山の表記は、鳥(トリ)と烏(カラス)があります。
一つは、飛鳥山に建つ史跡に「飛烏山(旧競馬場)とありますが、
確認できている文書では、明治23年「飛鳥山神社創立源由来書並列祭事」に「飛鳥山」と表記されています。
そのため、新江別市史には鳥「トリ」で統一して表記されています。
*以上、江別カルタ解説書「あ」の句引用
ぜひ、江別文化・歴史を題材とした江別カルタでお楽しみください
註 :江別カルタ<江別創造舎制作>「あ」の句解説書引用
*江別カルタ解説書は、佐々木孝一氏<元江別市情報図書館館長・江別創造舎>に執筆していただいています。
写真:江別カルタ「あ」の句詠み札と取り札
*江別カルタの外箱と解説書には、江別産小麦ハルユタカ加工原料紙を使用しています。
*江別カルタ第2販販売中<残り数限定となりました>です。
飛鳥山
江別屯田
公有地
飛鳥山は、野幌丘陵北端に連なる古砂丘群の一つで、江別兵村の公有地でした。
明治20年、琴似兵村から転任の野崎貞次少佐が、東京の飛鳥山に似ていることから名付けたと言われています。
丘は、その後、市街地の人々の格好のレクリエーション、集会の場となりました。
大正時代には、33歳観音後を祀る公園となり、桜も植えられ花見の名所となりました。
また、競馬場が設けられ、昭和3年から10年間、春秋に地方競馬が開催されました。
昭和25年に町営野球場が開設され、33年には都市公園に指定されました。
飛鳥山の表記は、鳥(トリ)と烏(カラス)があります。
一つは、飛鳥山に建つ史跡に「飛烏山(旧競馬場)とありますが、
確認できている文書では、明治23年「飛鳥山神社創立源由来書並列祭事」に「飛鳥山」と表記されています。
そのため、新江別市史には鳥「トリ」で統一して表記されています。
*以上、江別カルタ解説書「あ」の句引用
ぜひ、江別文化・歴史を題材とした江別カルタでお楽しみください
註 :江別カルタ<江別創造舎制作>「あ」の句解説書引用
*江別カルタ解説書は、佐々木孝一氏<元江別市情報図書館館長・江別創造舎>に執筆していただいています。
写真:江別カルタ「あ」の句詠み札と取り札
*江別カルタの外箱と解説書には、江別産小麦ハルユタカ加工原料紙を使用しています。
*江別カルタ第2販販売中<残り数限定となりました>です。
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