江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

前期江別文化の遺跡 1

2017年05月08日 | 歴史・文化

 前期江別文化(江別太式土器群期)の分布範囲は、石狩地方を中心とした道央部に限られ、代表する遺跡は江別太い遺跡と旧豊平河畔遺跡です。
 
 江別太遺跡は、千歳川右岸の旧河道内で発見された漁撈遺跡で、河の湾曲部から多数の杭が立った状態で見つかっています。
 遺跡からは、多量のサケやスズキなどの魚骨、オニグルミの核・クリの果皮・トチノキの種子皮・ヤマブドウ・サルナシの種子などの野生植物遺体、魚の解体に使用したと思われる木製柄付の石ナイフ、斧柄・サケの叩き棒・木鉢など多種多量の木製品が出土しています。

 現在、元江別団地がある旧豊平河畔遺跡は、同時期の集落遺跡で、直径4メートル前後の平面形態が円形の竪穴住居跡が17軒、直径6-8メートルの円形または長円形で、4-5メートルの舌状の張り出しが付く住居跡が16軒発見されています。舌状の張り出しは、恵山文化の住居にもみられるもので、玄関フードのような機能をもっていたと考えられています。

 注目すべきことは、住居跡の周辺に4,500本以上もの柱跡が密集して発見されたことです。こうした柱跡は、札幌市K135遺跡(JR札幌駅北口)でも1,546本発見され、サケの干場跡の可能性が高いと考えられています。また、旧豊平河畔遺跡の柱跡群の南端では、1.5メートル前後の間隔で、3列3本の柱跡が配列する遺構が4カ所確認されましたが、干し鮭を保管するための高床倉庫のような施設跡の可能性があります。



註 :江別市総務部「新えべつ市史」33-34頁.
写真:江別太式土器
 同上書32頁掲載写真を複写し、江別創造舎FACEBOOKおよび江別創造舎ブログに掲載いたしております。

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