江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

追分に殉ずる

2016年10月12日 | 歴史・文化

 ♪ ♫ 忍路高島  及びもないが  せめて歌すつ  磯谷まで  ♩ ♫

 北海道の民謡界の重鎮今井篁山は、昭和58年2月19日、札幌市西区の北陵内科病院で81歳の生涯を終えました。

 葬儀は、2月21日、22日の両日、平岸の札幌斎場で北海道民謡連盟葬を持って盛大に行われました。
野辺送りに先立ち、数十名の今井篁山の高弟たちが亡骸を前に尺八で、「松前追分」を奏しました。
 追分は、今井篁山が筏乗りの父親と共に石狩川、空知川、雨竜川、沙流川などを流し歩いた少年の頃から親しみ、そして生涯を民謡と共に歩き続けた彼を片時も離れなかった輩の歌でもありました。
 ちなみに、戒名は、松前院真道篁栄居士でした。
生前『俺の戒名は、俺がつける』と言っていたのも宜なるかな、でした。

 追分に殉じた、見事な生涯というべきでしょう。


(参考)
当ブログ2011年 9月11日(日)「菊とカルタと民謡」



註 :江別市総務部「えべつ昭和史」832頁.
写真:王子特殊製紙株式会社工場パルプ倉庫を石狩川沿いから撮影
   パルプ倉庫は、野幌煉瓦を使用した現存する建物として最古の建造物
 *大正14年に江別に移り済んだ今井篁山によると、昭和初期、江別にも追分研究の同好会が富士製紙に三つ、町内に3つほどあったと言われます。

コメント
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