旧王子航空機製作所従業員が自家用に耕作していた約60町歩も、当然のこと買収対象に含まれました。
しかし、同従業員側は、労働組合を盾に耕作権を主張、旧耕作者(農民)、ひいては農地委員会と真っ向から対立しました。
当時の旧王子労組委員長 岡寺一男は、『元の所有農民が、戦争が終わったのだから畑を返せと強請してきました。この暴言には憤激したものの、相手は簡単に引っ込まないし』云々と組合史に記したとおり、事態の認識に相当のひらめきがありました。
当時の関係者である曽我部武男、三本一雄、青山松未らの話を総合すると、旧王子の耕作地は3丁目から4丁目間、学園通りから4番通り間の、南北に縦長な一画で、曽我部によると、『儂もあそこに100坪ぐらい借りた。従業員全員、うん、800人ぐらい。芋とか、大根とか作った。』ということでした。
旧王子としては、この既得権であり、今や生命線でもある耕作権を、何としても手放したくありません。
そこで、農地委員会立会いのもと、旧王子と旧耕作者の話し合いが再三にわたり行われた結果、約300町歩の耕作を認めることで決着しました。
なお、同地を直ちに売り渡すのではなく、調査の要ありと一時保留扱いとしました。
この交渉は旧王子にとって大勝利です。
労組委員長岡寺は『幾度か交渉の結果、漸く約半分の畑地獲得に成功し、食糧難を切り抜け得た偉業は』云々と、自画自賛止むところないのも、むべなるかな、でした。
三本によれば、『昭和30年近くまで、あそこで耕作した。食糧難の時代が過ぎるまで、芋、かぼちゃ、トーキビなど自家用に供した』というから、当時の30町歩の威力は実に大きいと言えます。
註 :江別市総務部「えべつ昭和史」829頁.
写真:戦後アメリカ本土に移送された「木製戦闘機キ一〇六」
江別屯田兵村遺族会「江別屯田兵村120年の歩み」93頁掲載写真を複写し、江別創造舎ブログに掲載いたしております。