江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

団地開発と新設校ラッシュ2

2013年09月04日 | 歴史・文化

 昭和44年11月、大麻(おおあさ)東小学校が開校しました。

 大麻(おおあさ)小学校から714人、第二小学校から23人を迎え、20学級編成のスタートとなりました。
同校の通学区域は、大麻(おおあさ)団地の東部(大麻<おおあさ>東町、大麻<おおあさ>園町、大麻<おおあさ>高町、大麻<おおあさ>南樹町、大麻<おおあさ>晴美町)と元野幌の一部となりました。

 そして、そのわずか2年後の46年12月、大麻(おおあさ)西小学校の開校を迎えました。
同校も大麻(おおあさ)小学校から374人の児童を迎え入れ、12学級でのスタートとなりました。
通学区域は、大麻(おおあさ)団地の西部(大麻<おおあさ>扇町、大麻<おおあさ>西町、大麻<おおあさ>沢町の一部、大麻<おおあさ>の一部)と、国道12号の南側、文京台でした。

 この間、43年12月、大麻(おおあさ)中学校が開校しました。
大麻(おおあさ)団地はじめての中学校の開校式は、12月25日に行われました。
ジングルベルが街路を足早に行く人びとを急きたて、時折、粉雪が舞い降りていました。
もう暮れも押し迫っていました。
この開校式には、第二中学校からの集団転校となった195人が出席しましたが、その中には3年生の姿はありませんでした。
というのは、高校受験を控えていた3年生は、そのまま第二中学校に残ったからです。
そのため、同校の第1期生117人が学窓を後にするのは、翌々年の45年3月まで待たなければなりませんでした。

 開校初期の大麻(おおあさ)中学校は、団地同様、全ての面で若々しいものでした。
開校式当日、PTAの設立総会が行われました。
PTAも学校と一緒に出発しようとの、清純の気に満ちていました。
新設校であるため、施設設備や教材等も不十分でしたが、PTAが一戸100円を拠出して、教材の充実等を支援しました。
第3期生の母親・大角恭子によれば、『学校設備が追いつかなくって、お母さんたちがスコップ担いで集まって、グランド造成したり、今は大きくなってるけど、あのポプラを植えたんですよ。みんな一生懸命であった。』のです。
そこには、熱い坩堝がありました。

 開校時わずか6学級195人の規模でスタートした大麻(おおあさ)中学校は、やがて10年後の53年4月には、やがて10年後の53年4月には、29学級1,202人のマンモス校となりました。
その間、5期にわたる増築工事が重ねられました。
生徒数の急増に追いかけれ、プレハブ校舎で教室確保を糊塗したこともありましたが、54年4月、ついに校区を分割し、大麻(おおあさ)東中学校の新設を迎えることになりました。

註:江別市総務部「えべつ昭和史」520-521頁.
写真:昭和44年11月開校した大麻(おおあさ)東小学校
 同上書520頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。


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