江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

統合校江北中学校の開校

2013年09月07日 | イベント

 団地開発を契機とする40年代における新設校ラッシュがある一方で、農村の過疎化などに起因する閉校を含めた学校配置の再編が進んでいました。

 その一つに、41年11月開校の江北中学校があります。
同校は、石狩川右岸の農村地区の三つの中学校(美原、篠津、八幡)が統合された特異な例となりました。
開校時の生徒数は203人で、その内訳は美原97人、篠津43人、八幡27人、それに第三中学校から31人、第一中学校から5人でした。
 1学年2学級の6クラス編成での初々しい開校を迎えました。

 この統合中学校の実現については、39年6月開催の議会に江北地区中学統合促進期成会から早期実現の請願書が出されました。その理由は、美原、篠津、八幡とも小・中学校併置であるため、授業展開上いろいろ不都合な点が目につきました。
そのため、学習内容における他地域の中学校との格差が問題となり、地域ぐるみの統合実現運動が展開されました。
この地域の熱意は、統合後もいかんなく発揮されました。
それは、42年5月から運行開始の、市内初のスクールバスの実現にもみてとれます。
すなわち、遠距離通学生(八幡方面)の父母で構成したスクールバス運営委員会が、市の補助を得て自主運行したのです。
バスは、中央バス株式会社と折衝、廃車バスの寄贈を受け、運転は八幡の松下孝造があたりました。
翌43年4月からは市営のスクールバスが運行しましたが、この間の地域の人びとの熱意はなみなみならぬものがありました。


註:江別市総務部「えべつ昭和史」521-522頁.
写真:昭和42年運行開始の市内初の江北中学校スクールバス
 同上書522頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。

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