徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

最後の夢(第七十三話 最終回後編 永遠の未来へ)

2006-01-22 23:04:16 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 藤宮の輝郷が定時に理事長室を出た後は、理事長代理として悟が受験塾の終わる時間帯まで待機することになっていた。
 翔矢が講師を始めた当初は悟はまだ学生だったこともあって、それほど意識はしていなかったが実際自分が責任を負う立場になると、あの翔矢が問題も起こさず、いたって真面目に講師を務め業績を上げていることを喜ばずにはいられなかった。

 教壇に立っている晃の方にはさほどの感慨はないが、責任者の悟にとってはとにかく学園は平穏無事であることが何よりだ。
 翔矢がおとなしくしていてくれれば、それはもう約束されたも同然…。
それどころか生徒たちの数学の成績UPに大貢献というおまけが付いて万々歳。
但し…セクシーダイナマイトな奥さんが時々学園に姿を現すのだけは困りものだが…。
 別に悪いことするわけじゃないんだからそのくらい大目に見てやればいいじゃない…目の保養にもなるしさ…ま…ちょっと齢はいってるけど…と晃は笑った。



 透たちの溜まり場だった黒田のオフィスは今や和貴たちの世代の溜まり場になっていた。
 齢をとっても黒田は相変わらず元気で、時々子どもたちに混ざっていたりする。
黒ちゃんと呼ばれて上機嫌だ。

 黒田が最近少し気になっているのは彰久の長男修史(ひさふみ)…何か思い詰めたような顔で考え事をしている時がある。
今日もひとり…みんなより先にやってきてぼんやりと物思いに耽っている。

 「修史…どうしたよ? 悩み事か? 」

黒田が声を掛けると修史は黙って頷いた。

 「僕の舞…感情表現が中途半端なんだ…。 どうしたら史朗さんのように情念の世界を表現できるんだろう…?
 鬼面川の祭祀舞は御大親からのメッセージだから愛憎も善悪も清浄も不浄も男女も…すべてを表現できなければ意味がないんだ…。 」

 未熟な技量をじれったく思うのか唇を噛んで嘆息する。
それは仕方ないさ…おまえはまだ子どもなんだから…と黒田は苦笑した。

 「人生経験の違いは…今すぐには埋められない…。 
取り敢えずは…恋でもしてみな…。 成就しても失恋してもいい勉強になるぜ。」
 
修史の頬が赤く染まった。妙なところが史朗にそっくりだ…と黒田は思った。 

 「修さんでもいい…かな? 」

修…? 黒田は眼をぱちくりさせた。 

 「そりゃあ…また随分な年の差で…。 だけど…なんで修よ?
同級生にいくらでも可愛いお姉ちゃんがいるだろうによ。 」

修史はにっこり笑った。

 「女の子とは今までにも付き合ったことあるし…対象としては当然過ぎでしょ?
史朗さんの気持ちを知りたいんだ…。 もしくは…女性の…。 」

 ああ…そういうことね…今時の子は恋愛相手もちゃんと計算してるんだ…。
史朗の気持ちを探って張り合おうって算段か…末恐ろしいね。
 まあ…修なら…問題ないだろうが…彰久さんがなんと言うか…。
黒田は真面目一筋の学者の顔を思い浮かべた。

 「お父さまなら…了解済みだよ…ちゃんと相談したんだ…。 
それとなく…修さんに話しておいてくれるって….
お父さまの許可なしじゃ絶対相手にして貰えないから…。
 だけど…僕自身は修さんにどう近づいて行けばいいのか分からなくて…。
変なやつと思われても嫌だし…。 」

 変わった親子だ…。世間的には親が頭を抱えそうな状況なのに…許可…。
彰久さんは…やっぱり千年前の人なのかねぇ…。

 「何にしても…本気で惚れてなきゃ意味がないからやめとけ…。
そんな恋愛シミュレーションみたいなことじゃ史朗ちゃんの舞には近づけないよ。
 ロープレゲームやってるわけじゃないんだぜ。
男でも女でも命懸けで惚れたらきれいごとじゃ済まないんだからな…。 」

 表面だけ体験すりゃあいいってもんじゃないんだ…。
史朗がどれほど悩みぬいたか…修がどれほど苦しんだか…知りもしないで…さ。
黒田はゲーム感覚の現代っ子に特大の釘を差しておいた。



 「…というわけで修さん…ご迷惑でしょうが…あやつが言い寄ったら煮るなり焼くなりどうにでも…適当にあしらってください。
 何処まで本気だか分かりませんが…どうなろうと本人の責任において対処させますから…。
 親の僕が唖然とするくらいですから…さぞかし馬鹿げているとお思いになるでしょうが…あやつには口で言って聞かせたぐらいじゃ効果はありません…。 」

 彰久は何時になく突き放したような物言いをした。少し痛い目に遭ってこい…とでもいうように。
 いつもは冷静な彰久が相当頭にきていると見える。
やはり我が子のこととなるとさすがの賢人もただの人となるか…。

 「シミュレーションですか…。 僕はコンピュータじゃないんだけど…な。 」

 修は苦笑した。生身の人間相手にバーチャル的恋愛感は通用しないんだってことを教えて欲しいということらしい。
 仮に恋人と見立てた相手との恋愛を演出し心の動きを観察するなど…すでに現実の恋愛の域ではない。
 それは御大親への冒涜…人間への侮辱…そんなまがいものが祭祀舞の役に立つはずもない…。
 愛し愛される自分の内面を見つめるなら話は分かるが…。
彰久はそう修史に言いたいのだろう…。

 「僕の方が本気になってしまったら彰久さん…どうされます…? 」

修はちょっと意地悪く鎌掛けてみた。
 
 「そうなったらそうなった時のこと…他の方なら僕も許しはしませんが…相手が修さんだから何があっても安心できるわけで…。
 本当に申し訳ないのですが…うちの馬鹿息子としばらく遊んでやってください。
そのうち下のやつが同じことを言いだすかも知れませんが…。 」

 あくまで真面目に彰久は答えた。
何もこんな齢の離れたおじさんを選ばなくてもいいのに…と苦笑しながら修は彰久の依頼を引き受けた。



 古から鬼面川に伝わる三十六の古代祭祀舞は学術的にも価値があるというので、そういう方面からの研究者も時々出入りするようになった。
 責任者のひとり彰久が、専門分野は異なるにせよ、名の知れた学者であるということが祭祀舞の歴史的信憑性を高めて、そうした研究者たちを惹きつける要因となっているのかもしれない。

 彰久と史朗が祭祀による御大親のメッセージからこの十何年間に新しく生み出した二十四ほどの今様祭祀舞もわりと評判がよく、この頃では後援会や愛好者から古今取り混ぜてのリクエストも来るようになった。

 他の流派に比べれば極めてささやかな存在ではあるが、定期的に公演も催し、教室も増え、それなりに安定した収入も得られるようになっていた。
 仕事と舞とに日々追い回されて、ただ我武者羅に生きてきた史朗もようよう落ち着いてあたりを見渡せるようになった。

 やっとここまで…と感慨深げに振り返って見れば、そこに居るのは高級なものに囲まれながらどこか輝きを失いくたびれた自分…。
 
 見るたびに芽を…枝を伸ばしていく若い世代…。
ことに修史の舞は…。
 舞の実力では絶対に負けない自信があるとはいえ、若い命の輝きはそれだけで美しく、それに対抗するだけの光を放つ術を史朗は未だ知らない。
 修練を怠ってはいけない…やがて更に老けゆく自分をこれ以上惨めなものにしたくはない…今できることは…持てる力をより向上させることだけ…。

  

 洋館の居間の文机でいつものようにパソコンに向かっている修の耳に、史朗の舞う謡の調べが響いてきた。
 史朗が洋館で舞の稽古をするのは久しぶりのことだ。
新しい家が建ってからは史朗の部屋もそちらに移り、洋館で過ごすことはめったになくなった。

 修が部屋を覗くと史朗は床の上にへたり込んでぼんやり何かを考えていた。
修の姿を見ると笑顔を見せて立ち上がった。

 「何か…お見せしましょうか…? 」

 そう…以前はこうして時々修のために舞ってくれた…修だけのために…。
それは史朗から修への無言の意思表示…告白…。

 「そうだね…。 『雪嵐』を…。 」

修が言うと史朗は微笑んだ。

 「相変わらず…『雪嵐』…お好きですね…。 よかったら『夜桜』も…。 」

 舞に込められた史朗の想い…無言の叫び…剥き出しの魂…血を流す心…。
誰にもまねなどできない…できようはずがない…だって…これは…史朗自身…他の誰でもない…。
 修はうっとりと史朗の舞に見とれている。この一瞬だけは何があろうとこの人の心を誰にも渡さない…。
 史朗は一礼するといつものように少し注釈を加えた。

 「今様祭祀舞の方では…『雪嵐』には『波の花』、『夜桜』には『弓張月』が内容として近いと思われます…多少意図するところに違いはありますが…。
 どちらも御大親からの授かりものではありますし…現代の方には単純な今様の方が受けますが…僕は古代の方が好きですね…。」

 そう言った後で史朗はほんの少し沈黙した。
訝しげに史朗を見つめる修に向かって史朗は突然深々と頭を下げた。  

 「桜花を…跡継ぎに選ぶことができなくて申し訳ありませんでした…。
あなたが…御大親に願を懸けてまで僕に授けてくださった娘なのに…。 」

 何だ…そんなことか…。雅人のおしゃべりめ…要らざることを…。

 「当たり前のことだ。 修史の方が優れている以上は修史を選ぶのが宗家としてのおまえの務め…。 何も謝る必要はない。 」

 桜花は可愛い…だがそれとこれとは別の話。
それとも修史を選んだことを後悔しているのか…修は探るように史朗を見た。
 
 「彰久さんが…話してくださいました。 
修史が本気であなたに惚れこんだらしく…人の心はゲームのようなわけにはいかないのだということにやっと気がついたようだと…。

 あの子は師匠の僕を負かすためにあなたを利用しようとしていたのですね…?
ミイラ取りがミイラになったと…彰久さんは笑いますが…僕は笑えません…。 
大事な桜花をはずしてまで後継者に推した僕を…それを認めてくださったあなたをあまりに馬鹿にしている…。 」

 史朗はじっと修を見返した。
修はふっと笑みを漏らした。

 「そう…腹を立てるな…。若気の至りだと思って許しておやり…。
人の心の機微に気付いたのなら…それでいいじゃないか…。 
 それに…桜花のことは…僕がおまえのために願を懸けたのは…僕がおまえを苦しめたことに対するの精一杯の償いでもあるんだ…。 」

 突然の修の言葉に史朗は驚愕した。
とんでもない…こんなに大切にしてもらったのに…あなたのお蔭で夢だって叶えられたのに…苦しめただなんて…。

 「僕の中の憎しみなんて…嫉妬なんて…とうに消えてなくなっていたんだ。
だけど…言えなかった…。 
 言えば…おまえが…僕の大切な宝物が…この手から何処かへ逃げて行ってしまうような気がして…。
 僕の我儘でおまえを閉じ込めてしまった…。 
もっと違う生き方が出来たのだろうに…今よりずっと幸せになれたかも知れないのに…。 」

修は申し訳なさそうに史朗を見つめた。

 「僕は…他にどんな素晴らしい道が開けていたとしても…やはりあなたと生きてきたこの道を選びます。
 後悔なんかしていないし…これ以上の幸せなんて何処にありましょうか…?
僕は十分好きなように生きてきたし…世間的なモラルさえもかなぐり捨ててあなたを愛し…笙子さんを愛し…桜花まで得た。
大勢の温かい家族や友人に囲まれて…この上何を不平を申すことがありましょう?

 苦しめただなんて…僕が苦しんだと言うのならあなたは僕以上につらい思いをなさってきたのに…。  」

 史朗の手が修の手を包み込んだ。
この手に支えられてここまで来た…。この手が僕を愛し労り慈しんでくれた。
 僕だけじゃない…あなたは幾人もの人を救い…育て…この紫峰だけではなく、藤宮も、鬼面川も、城崎も、樋野も…その他にもそれこそどれくらいの人々があなたから恩恵を受けていることか…。 

 「後悔なんてしないでください…今でも僕を思ってくださるなら…。 
こんなすすぼけた中年親父になってしまったけれど…。 」

 史朗は自嘲した。
修はくすっと笑った。

 「綺麗だよ…おまえは…。 若い修史がライバル意識を燃やすくらいだもの…。
おまえとのことを後悔しているわけじゃないんだ…おまえに僕の中の鬼を見せてしまったことを…さ…。
 僕は事あるごとにおまえを手酷い目に遭わせてしまったから…。
ずいぶんつらかったろうと…思うよ…。 」

 あなたのせいじゃない…それは…あなたが悪いんじゃない…。

 「何もかも承知で…あなたを愛したのは誰の意思でもない…僕の意思です。
御大親の御意思でもなく…僕が決めたこと…。 」

 酷いことなんて何もしていない…あなたはいつも真剣に僕に向き合ってくれた。

 「僕は年をとりました…。 もう…修史のような初々しい輝きを取り戻すことはできないけれど…磨き上げればそれなりに褪せずに輝くことができるでしょう…。
 もうしばらく…史朗を磨くべき原石としてお傍に置いて頂けますか…? あなたの宝箱の中に…。
史朗の舞を愛してくださいますか…? 」

 真剣な眼差しで史朗は修の眼を見つめた。
修は一瞬…意外だというような表情を浮かべたが、すぐに嬉しそうに微笑んだ。

 「生涯…傍に置いておこう…。 時々磨きをかけられるように僕の手の届くところへ…僕の大切な宝箱へ…。
いつか神々しいまでの輝きを帯びたその舞姿が見られるように…。 」

 穏やかな笑みを浮かべ…史朗は頷いた。
若手のことなど気にしている暇はないぞ史朗…昔…雅人くんが言ってたろ…一生物の宝の石になれって…自分を磨けって…。
僕はこの人のために輝く…この人のために舞う…それだけでいいじゃないか…。

 修の手が史朗の頬に触れた。
この世で史朗と巡り合った不思議…愛し合った不思議…。
千年も前に消えたはずの閑平の儚く切ない想い…。
その想いが史朗となって修の前に現れ…修の中の樹へと伝わる…。

 そんなメルヘンが…現実にあったなんて…誰も信じないだろうけど…ね…。
千年の時を越えて…史朗や彰久さんと再会できたこと…本当に嬉しかった…。
あとどのくらい…一緒に居られるのかは分からないけれども…。
僕は…そう長くは生きられまい…。 樹は若くして亡くなっている…。

どうか…この奇跡が来世にまで続きますように…。
そう…祈らずにはいられない…。


 千年神と讃えられた不思議な力を持つ男は…いま常人の心で祈っている。
千年の時を越え巡り合ったいくつもの魂が次の千年の時までも越えてまた巡り合えるように…と。




最終回後編 完








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