徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

三番目の夢(第二話 優しい先生)

2005-08-27 23:44:22 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 輝郷から内密に話があると連絡が入ったのは春先のことだったが、一応返事はしたものの、年度初めの忙しさになかなか手が空かず、修が藤宮家を訪ねたのは新学期が始まってからだった。

 この春休み中に輝郷は、校舎のありとあらゆる所を調査させたが、人によって敏感度が違うとはいえ、一般的に見てシックハウスの原因となるような化学物質は検出されず、校舎が原因で体調不良を起こすとは先ず考えられないことが分かった。 
 そうかといって、藤宮や紫峰の血を引く教師たちが隈なく調べても人に害を及ぼすような霊的なものも存在しない。
藤宮家としては今のところお手上げ状態なのだ。

 感度のよい笙子に確認させようと思ってもなかなかつかまらず、たまたま連絡のついた修にお鉢が回ってきた。

 「まあ…お前もこの高校の卒業生ではあるし、少しばかり手を貸してもらえたら助かるのだが…。 」

 わざわざ呼び出した割には遠慮しがちに輝郷は言った。
いかに義理の伯父とはいえ他家の宗主に無理強いはできない。

 「分かりました。 僕も仕事があるので始終学校へ出向くというわけにはいきませんが、時々顔を出して調べてみましょう。
何か適当な理由を考えてくださいよ。 」

 「紫峰家は理事のひとりでもあるわけだから、教育施設を拡充させるための視察ってのはどうかね。 
 今ちょうど、受験塾を大きくしようと思っているところなんだよ。 」
 
 少し考えてから輝郷は言った。
修は意味ありげに笑いながら答えた。

 「それは…寄付の催促ですか…? 」

輝郷は笑いながら、そういうわけではないんだが…と頭を掻いた。



 今年採用された教師は5人ほどいたが、職員室の国語担当のエリアにいる新人は唐島だけだった。新人といっても唐島はすでに10年ほども公立高校で教えてきたベテランで、教師としては高い評価を受けていた。

 隣のエリアで背の高い少年が数学の教師と何か話していた。 
用事の終わった少年が出て行こうとすると、別のエリアから声がかかった。

 「お~い紫峰。 次の時間は視聴覚室で授業をするから皆に移動するように伝えといて。」

 「わっかりました!」

少年は元気よく答えて出て行った。

 その名前を耳にした時、突然、唐島の胸が高鳴った。
紫峰…紫峰だって…? 

 唐島は少年のあとを追った。
紫峰と呼ばれた少年は廊下でさらに背の高い少年と合流した。

 「紫峰くん? 紫峰…透くんか…? 」

透は振り返って訝しげに唐島を見た。

 「そうですけど…。 」

 「やっぱりそうか…。 おや…きみも紫峰くんだね。 冬樹くんかい? 」

唐島は雅人の名札を見て冬樹の名を出した。

 「いいえ…冬樹は亡くなりました。 僕は雅人です。 」

 「ああ…ごめんなさい。 悪いことを訊いてしまった。 

修くんは…修くんは元気かい? 」

 唐島がそう訊ねた時、唐島の過去のビジョンが雅人の脳へ流れ込み、雅人は身体が震えてくるほどの怒りを感じた。

 「元気ですよ。 先生は僕等をご存知なんですか?」

 「うん。 ずっと昔にちょっとね。 会ったことがあるんだよ。 

そうか…修くんは元気なんだね…。 」

懐かしそうに唐島は言った。

 「透。 行こうぜ。 」

 雅人はその場にいるのはもうたくさんだと言わんばかりに透の腕を引いた。
その勢いに透は驚いた。

 「呼び止めて済まなかったね。 修くんによろしく。」

 「伝えませんよ…。あなたがここに存在すること自体…僕には伝えられません。
ご自身で電話でもなさればいい…。 できるならですけどね。 」

 雅人は吐き捨てるように言うと透を引っ張ってその場を離れた。
雅人の言葉を聞いて唐島は雷に打たれたようなショックを受けた。

 「…知っているのか…。 」



 下唇を噛みながら雅人は無言で教室へ戻ってきた。休憩時間なのでまだ誰も戻ってきては居なかった。

 「どうしたんだよ。」

透は青くなっている雅人に訊いた。

 「あいつだよ。 修さんに酷いことをした奴。 さんざ他人を傷つけておいて、よくもまあ教師なんかになったもんだぜ。 」

 「修さんに知らせなきゃ。 あいつがここにいるって。 」

透は携帯を取り出した。雅人はそれを止めた。

 「馬鹿だな。黙ってりゃいいんだよ。修さんの古傷刺激してどうするんだよ。」

 「あ…そっか。 」

 クラスメートが戻って来たのでその話はそのままになった。
透は急いで黒板に大きく『次は視聴覚室へ移動』と書いた。



 修が雅人の担任から呼び出しを受けたのはそれから間もなくだった。
雅人が担当教師を無視して教室を出て行ってしまったという内容だった。
 
 担任ともうひとりの教師の前で雅人は悪びれもせず堂々と修を待っていた。

 急ぎ駆けつけた生徒相談室の入り口のドアを開けた瞬間、修の目に飛び込んできたのは唐島の姿だった。修はそれですべてを察した。

 「理事をお呼び立てするほどのことではなかったのですが、何しろ雅人くんがこのような騒ぎを起こすのは初めてでして…。
何かあったのではないかと心配になりましてね。 」

 担任は緊張した面持ちで言った。
藤宮学園にとって毎年多額な寄付金を寄せている紫峰家の存在は重く、決して失礼があってはならないと上から内々言われている。

 「いえ…うちの方では特には…。受験で気が立っているのでしょう。
申し訳ないことを致しました。 」

 修は丁寧に唐島に頭を下げた。

 「いいえ…僕がまだこの学校に慣れないものですから…きっと何か気に障るようなことがあったのでしょう。 」

 唐島もそう言ってお辞儀した。 
顔を上げた唐島は何か言いたげだったが修はそれを無視した。

 二言三言担任から注意を受けて雅人は相談室から釈放された。



 修は相談室を出てから一言も話さぬまま雅人を連れて帰った。
校門を出ても、車の中でも、何を考えているのかずっと黙っていた。

 紫峰家の駐車場に車を止めて外に出た途端、修は大きく溜息をついて車の方に倒れ掛かった。

 「修さん。 大丈夫? ねえ。 大丈夫? 」

雅人は修の身体を支えるようにして訊ねた。

 「びっくりした。心臓止まるかと思った。なんであいつがあそこにいるの?」 

 雅人に顔を向けて修は言った。
いや…びっくりしたのはこっちだし…と雅人は思った。

 「けど…雅人。 間違えてはいけないよ。
過去のことは僕とあいつの問題で、お前にはいっさい関係ないことだ。

 お前にとってあいつは先生だ。理由もなく授業をエスケープするなんて無礼なことをしてはいけない。お前の人格を下げることになる。

 まあ最も僕も高校時代は相当なもんだったから、偉そうな事は言えないが…。」

 雅人の前では修はあくまでいつもの修だった。
悲しいほど理性を働かせて自分の中の鬼を抑え続ける。
笙子の前ならいま修はどんな姿を見せるのだろう…と、ふとそんなことを思った。

 「どうするの? 仕返しするつもり? 今ならあなたには何でもできるよ。」

 雅人が訊いた。
修は目を細めて首を横に振った。

 「30をとうに超えたおっさんの裸は見たくないなぁ。やる気も起こらない。」

 「あのねえ…。僕はそういう仕返ししろって言ってんじゃないんだけど…。」

 からからと笑いながら修は玄関の方へ向かった。
後に付いて行きながら雅人は修の胸のうちを考えた。唐島に対する怒りが消えたわけじゃない。雅人の前だから馬鹿なジョークで誤魔化しているだけだ。
ここはやっぱり笙子さんに頼るしかないか…と雅人は思った。



 夕暮れの職員室で唐島はぼんやり修のことを思い出していた。
あの頃に比べると別人のようだ。大きく逞しくなった。
よかった…。元気でいてくれて本当に…よかった…。

 「どうかしたのかね? 」

不意に初老の先生が声をかけてきた。穏やかそうな優しい笑顔の先生だった。
 
 「僕がまだ十代の頃にある人にそれは酷いことをしてしまったんです。
多分その人にとっては、今更取り返しがつかないほど酷いことだったと思います。
今日その人にやっと会えたのに…謝ることもできなかった…。 」

自分が何故、初対面のこの先生にそんな話を打ち明けているのか分からなかった。
この先生があまりに暖かな笑みを浮かべていたので、長い間心にしまっておいたことを思わず話してしまったのだ。
 
 「過ちのない人生はないよ。 
その人に会えたのなら君のできる限りの誠意を尽くして償うといい。
 たとえ許してもらえなくとも君の心が救われるまでね…。 
その人に対して何もしてあげられなかったと後悔するよりはいいじゃないかね。」

先生は穏やかにそう言って唐島を元気づけてくれた。
この学校にはこんな素敵な先生がおられるのだ…見習わなくては。
唐島はそう思った。

 「君が言うのは紫峰修のことだろう? 今日学校に来ておったからな。
あれは凄い男だった。 今でも語り草になっておる。

 この学校には修と同級生だった先生や修を教えた先生がおるよ。
いろいろ昔話を聞かせてくれるだろう。

 君の悩みの解決に役に立つかもしれん。 」

先生がそう教えてくれた時クラブを終えた教師たちが職員室に次々と戻ってきた。
先生はにっこり笑うと唐島の気づかぬ間にどこかへ行ってしまった。

 お名前を伺っておけば良かった。
ま…いいか…この学校の先生ならまた明日にでも会えるからな。

胸の中でそう呟くと唐島は帰り支度を始めた。




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