社の外で見張りをしていた西野は異様な気配で空を見上げた。
夜はすでに明け切っているはずなのに、あたりは薄暗く社を中心に黒い雲が渦巻いて、今にも嵐が来そうである。
鬼面川の鬼遣らいは日暮れ近くの行事だから観光客の姿はまだ無いが、社周辺のそこここに不気味な影が蠢いている。
ソラが落ち着かない様子で同じところを行ったり来たりしているところを見ると何かの悪意が働いているものと思われる。
西野がふと本家に繋がる石段の小路のほうを見ると加代子が登ってきていた。
「おはようございます。 朝食の用意が整いましたので…皆さんこちらに居られますかしら?」
孝太に良く似た人懐っこい笑顔で加代子が言った。
「おはようございます。 皆さんお集まりですが、社の中は準備中なので入れませんよ。 私が皆さんに伝えておきます。 」
西野は丁寧に礼をしながらそう答えた。
「あら困ったわ…。兄と葬儀の段取りをしたかったんですけど…。
朝子さんたちを何時までもあのままにはして置かれないものですから…。」
加代子は実際困っていた。いくら親戚とはいえ自分の家族ではない者の葬式で、しかも、本家で盗みを働こうとして心臓麻痺を起こしたとかいういわくつきのご遺体である。さっさと片付けてしまいたいというのが本音だ。
「そうですねえ…。申し訳ないんですが…誰も入れるなとのご命令でして…。」
西野も困ったように頭を掻いた。
加代子はその様子を見てくすっと笑った。
「よろしいわ…。 皆さんがお出でにならなければ後からまた来ます。
お食事はいつでも召し上がれるようにしておきますわ。 」
そう言って加代子はその場を去ろうとした。
すると突然旋風が加代子の全身を捕らえた。加代子が悲鳴を上げるが早いか、旋風は加代子を捕らえたまま社の扉を突き抜けていった。
西野は瞬時の出来事になす術も無く、社の外から雅人に向かって叫んだ。
「雅人さん! 雅人さん聞こえますか? 加代子さんが捕らえられました! 」
扉の反対側では結界を破られた雅人が何ごとが起こったのか分からぬまま突き飛ばされていた。
突然扉の向こうから雅人めがけて何かがぶつかって来た。
それを背中で受け止めた格好で、加代子の下敷きになっていたのだった。
「聞こえたけど…遅いよぉ。 」
雅人が答えた。加代子が慌てて雅人の上から身体をどけた。
「ごめんなさい。 重かったでしょう? 」
重かったのはどうでもいいのだが、雅人の結界を破るとは尋常な力じゃない。
「怪我は無い? 加代子さん。 雅人。」
透が駆け寄ってきた。
「私は平気ですけど…。」
「大丈夫…だけどちょっとショック。 」
雅人は憮然として答えながら修の方を伺った。
修は末松の方に気を向けていた。末松が動き出したのを感じ取ったようだ。
末松が声を上げて笑い出した。
「ご覧…宗主どの。 そんな結界など役にはたたんよ。 」
修の口元が緩んだ。
分かってるよ。そんなこと…。
加代子が突然現れたので、孝太が目を見張った。
「加代子! なんでここに? 」
加代子が孝太を見つけて傍へ寄ろうとするのを、慌てて孝太が止めた。
「来るな! 爺さまが狂ったで! 」
加代子はまさか…と末松の方を見た。途端に加代子の身体は自由を失い、孝太と隆平の前へ引き寄せられた。
「加代子…彰久と史郎を殺せ! 」
末松が命じた。
加代子は自分が何を言われているのかが分からず、孝太の顔を見た。
「聞くな! ふたりに近寄っちゃならん! 」
孝太が叫んだ。
加代子の意思とは逆に加代子の身体は引きずられるように彰久たちに近付く。
孝太は急いで加代子を抱きとめた。
加代子はすでに自分を失いかけていた。物凄い力で孝太に抗い、普段の加代子なら考えられぬ勢いで孝太をはたき飛ばした。
彰久たちは危険が迫っていることは感じていたが、その場から動くことも単に振り返ることもできなかった。ただひたすら祭祀に打ち込むしかなかった。
加代子が彰久に触れる寸前で隆平は加代子をその場から突き放した。
突き放された勢いで倒れた加代子の傍に跪くとその額に触れ気を放った。
加代子の中の末松の意識が消えた。
末松は訝しげな顔をして隆平を見た。
隆平は修に動かされているわけではない。ちゃんと自分の意思で行動している。
簡単な業とはいえ、教えられてもいないことをやってのけたのだ。
それは修が、逆上して正気を失いかけた隆平に施した業で、隆平はそれを身体で覚えてしまったようだ。
末松はたとえ微力な楯でも侮れぬことを知った。
正気に戻ったのはいいが怯えて動けない加代子を透が扉の近くまで避難させた。
扉の前では雅人が新しく結界を張ろうとしていたが、外からまた西野の大声が響いてきた。
社を取り囲んでいた無数の影が社目指して突進を始めたのだ。
西野がいくら強くても多勢に無勢、西野とソラだけでは到底対処できない。
取りこぼしたものたちが次々と社に入り込む。
ただの魔物ではない。
これまでに『救』を受けることのできなかった過去の魂がこの世に居残って異形の者と化した性質の悪い化け物である。
結界を張ろうとしていた雅人にうじゃうじゃとたかり始めた。
「やってられんわ!」
雅人は結界を諦めて化け物退治を始めた。
透は加代子を庇いながら、襲い掛かってくる化け物を倒したが、相手を倒した際にあることに気が付いた。
ばらばらになった部品が復活を始めたのだ。
「雅人! こいつ等復活型の化け物だ! 下手に倒すと増殖するぞ!」
透は猛スピードで化け物退治をしている雅人に注意を促した。
「どうする? 透! 許可なしで『滅』は使えないぞ! 」
雅人に問われて透は修の方を窺った。
相変わらずたいして動きもせず、化け物を消し飛ばしている。
修が良く使うのは…『解』…『散』…『消』。
「『消』でいこうぜ! けど失敗したらとんでもなく増えちゃうかも…。」
透は言った。
「やってみましょ。 男は度胸ってね! 」
雅人は一発勝負に出た。まとわり憑く不気味な化け物を一気に消滅させた。
「いけそうでっせ! 」
透の方を見るとやはり巧くいったようだ。
ただし、透に庇われながら化け物との戦いを初めて目の当たりにした加代子はほとんど失神状態だった。
「まあ…。寝ていてもらった方が世話無くていいかも…。」
ふたりはそう思った。
後から後から湧いて出る化け物たち…救われぬ魂がこれほどこの地に多く存在するのか。これは当代長だけの責任にとどまるまい。いい加減な長が他にも存在したという証拠でもある。
化け物は増殖するだけでなく合体もするらしく、相手が強いと分かると何体かがくっついて大型の強力な化け物へと変化した。
彰久と史郎を狙い突進していく。
大半は修と笙子が消してしまうが、孝太や隆平に襲い掛かるものもいる。
鬼面川の聖域なので、一族でない修と笙子は祭祀の間、孝太や隆平よりも向こう側には近づくことは許されない。
孝太や隆平が四苦八苦している姿を末松は面白おかしく眺めていた。
戦い慣れてきたとはいえ、今の力では化け物退治も思うに任せないだろう。
しかも、夕べから一睡もせず、水一滴飲んでいないふたりである。
修行を積んだ修たちとは違って体力的にも不安がある。
修はそれまで敢えて動くことをしなかったが、急に隆平の傍まで移動すると、隆平に近付くように指示を出した。
笙子が援護に入り、修の代わりに近付く化け物を消滅させた。
隆平の額に中指と人差し指を当てると修はなにやら呟いた。
あの青みがかった紫の焔が、修の中からすうっと隆平の額に吸い込まれた。
僅かな量ではあったが隆平は驚きの声を上げそうになり、歯を喰いしばって堪えた。
隆平には確かに聞こえた。
修は間違いなくこう言ったのだ。
『奥儀伝授』と…。
次回へ
夜はすでに明け切っているはずなのに、あたりは薄暗く社を中心に黒い雲が渦巻いて、今にも嵐が来そうである。
鬼面川の鬼遣らいは日暮れ近くの行事だから観光客の姿はまだ無いが、社周辺のそこここに不気味な影が蠢いている。
ソラが落ち着かない様子で同じところを行ったり来たりしているところを見ると何かの悪意が働いているものと思われる。
西野がふと本家に繋がる石段の小路のほうを見ると加代子が登ってきていた。
「おはようございます。 朝食の用意が整いましたので…皆さんこちらに居られますかしら?」
孝太に良く似た人懐っこい笑顔で加代子が言った。
「おはようございます。 皆さんお集まりですが、社の中は準備中なので入れませんよ。 私が皆さんに伝えておきます。 」
西野は丁寧に礼をしながらそう答えた。
「あら困ったわ…。兄と葬儀の段取りをしたかったんですけど…。
朝子さんたちを何時までもあのままにはして置かれないものですから…。」
加代子は実際困っていた。いくら親戚とはいえ自分の家族ではない者の葬式で、しかも、本家で盗みを働こうとして心臓麻痺を起こしたとかいういわくつきのご遺体である。さっさと片付けてしまいたいというのが本音だ。
「そうですねえ…。申し訳ないんですが…誰も入れるなとのご命令でして…。」
西野も困ったように頭を掻いた。
加代子はその様子を見てくすっと笑った。
「よろしいわ…。 皆さんがお出でにならなければ後からまた来ます。
お食事はいつでも召し上がれるようにしておきますわ。 」
そう言って加代子はその場を去ろうとした。
すると突然旋風が加代子の全身を捕らえた。加代子が悲鳴を上げるが早いか、旋風は加代子を捕らえたまま社の扉を突き抜けていった。
西野は瞬時の出来事になす術も無く、社の外から雅人に向かって叫んだ。
「雅人さん! 雅人さん聞こえますか? 加代子さんが捕らえられました! 」
扉の反対側では結界を破られた雅人が何ごとが起こったのか分からぬまま突き飛ばされていた。
突然扉の向こうから雅人めがけて何かがぶつかって来た。
それを背中で受け止めた格好で、加代子の下敷きになっていたのだった。
「聞こえたけど…遅いよぉ。 」
雅人が答えた。加代子が慌てて雅人の上から身体をどけた。
「ごめんなさい。 重かったでしょう? 」
重かったのはどうでもいいのだが、雅人の結界を破るとは尋常な力じゃない。
「怪我は無い? 加代子さん。 雅人。」
透が駆け寄ってきた。
「私は平気ですけど…。」
「大丈夫…だけどちょっとショック。 」
雅人は憮然として答えながら修の方を伺った。
修は末松の方に気を向けていた。末松が動き出したのを感じ取ったようだ。
末松が声を上げて笑い出した。
「ご覧…宗主どの。 そんな結界など役にはたたんよ。 」
修の口元が緩んだ。
分かってるよ。そんなこと…。
加代子が突然現れたので、孝太が目を見張った。
「加代子! なんでここに? 」
加代子が孝太を見つけて傍へ寄ろうとするのを、慌てて孝太が止めた。
「来るな! 爺さまが狂ったで! 」
加代子はまさか…と末松の方を見た。途端に加代子の身体は自由を失い、孝太と隆平の前へ引き寄せられた。
「加代子…彰久と史郎を殺せ! 」
末松が命じた。
加代子は自分が何を言われているのかが分からず、孝太の顔を見た。
「聞くな! ふたりに近寄っちゃならん! 」
孝太が叫んだ。
加代子の意思とは逆に加代子の身体は引きずられるように彰久たちに近付く。
孝太は急いで加代子を抱きとめた。
加代子はすでに自分を失いかけていた。物凄い力で孝太に抗い、普段の加代子なら考えられぬ勢いで孝太をはたき飛ばした。
彰久たちは危険が迫っていることは感じていたが、その場から動くことも単に振り返ることもできなかった。ただひたすら祭祀に打ち込むしかなかった。
加代子が彰久に触れる寸前で隆平は加代子をその場から突き放した。
突き放された勢いで倒れた加代子の傍に跪くとその額に触れ気を放った。
加代子の中の末松の意識が消えた。
末松は訝しげな顔をして隆平を見た。
隆平は修に動かされているわけではない。ちゃんと自分の意思で行動している。
簡単な業とはいえ、教えられてもいないことをやってのけたのだ。
それは修が、逆上して正気を失いかけた隆平に施した業で、隆平はそれを身体で覚えてしまったようだ。
末松はたとえ微力な楯でも侮れぬことを知った。
正気に戻ったのはいいが怯えて動けない加代子を透が扉の近くまで避難させた。
扉の前では雅人が新しく結界を張ろうとしていたが、外からまた西野の大声が響いてきた。
社を取り囲んでいた無数の影が社目指して突進を始めたのだ。
西野がいくら強くても多勢に無勢、西野とソラだけでは到底対処できない。
取りこぼしたものたちが次々と社に入り込む。
ただの魔物ではない。
これまでに『救』を受けることのできなかった過去の魂がこの世に居残って異形の者と化した性質の悪い化け物である。
結界を張ろうとしていた雅人にうじゃうじゃとたかり始めた。
「やってられんわ!」
雅人は結界を諦めて化け物退治を始めた。
透は加代子を庇いながら、襲い掛かってくる化け物を倒したが、相手を倒した際にあることに気が付いた。
ばらばらになった部品が復活を始めたのだ。
「雅人! こいつ等復活型の化け物だ! 下手に倒すと増殖するぞ!」
透は猛スピードで化け物退治をしている雅人に注意を促した。
「どうする? 透! 許可なしで『滅』は使えないぞ! 」
雅人に問われて透は修の方を窺った。
相変わらずたいして動きもせず、化け物を消し飛ばしている。
修が良く使うのは…『解』…『散』…『消』。
「『消』でいこうぜ! けど失敗したらとんでもなく増えちゃうかも…。」
透は言った。
「やってみましょ。 男は度胸ってね! 」
雅人は一発勝負に出た。まとわり憑く不気味な化け物を一気に消滅させた。
「いけそうでっせ! 」
透の方を見るとやはり巧くいったようだ。
ただし、透に庇われながら化け物との戦いを初めて目の当たりにした加代子はほとんど失神状態だった。
「まあ…。寝ていてもらった方が世話無くていいかも…。」
ふたりはそう思った。
後から後から湧いて出る化け物たち…救われぬ魂がこれほどこの地に多く存在するのか。これは当代長だけの責任にとどまるまい。いい加減な長が他にも存在したという証拠でもある。
化け物は増殖するだけでなく合体もするらしく、相手が強いと分かると何体かがくっついて大型の強力な化け物へと変化した。
彰久と史郎を狙い突進していく。
大半は修と笙子が消してしまうが、孝太や隆平に襲い掛かるものもいる。
鬼面川の聖域なので、一族でない修と笙子は祭祀の間、孝太や隆平よりも向こう側には近づくことは許されない。
孝太や隆平が四苦八苦している姿を末松は面白おかしく眺めていた。
戦い慣れてきたとはいえ、今の力では化け物退治も思うに任せないだろう。
しかも、夕べから一睡もせず、水一滴飲んでいないふたりである。
修行を積んだ修たちとは違って体力的にも不安がある。
修はそれまで敢えて動くことをしなかったが、急に隆平の傍まで移動すると、隆平に近付くように指示を出した。
笙子が援護に入り、修の代わりに近付く化け物を消滅させた。
隆平の額に中指と人差し指を当てると修はなにやら呟いた。
あの青みがかった紫の焔が、修の中からすうっと隆平の額に吸い込まれた。
僅かな量ではあったが隆平は驚きの声を上げそうになり、歯を喰いしばって堪えた。
隆平には確かに聞こえた。
修は間違いなくこう言ったのだ。
『奥儀伝授』と…。
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