年齢差のあった主人が2014年に85歳で亡くなり、その後、青森の両親が亡くなり、神戸の義姉が一人暮らしからグループホームに入所することになったりして、今、私は70歳を迎えております。
椿峰ニュータウンの当初から住んだ家が築40年近くなり、建築家になった長男に改修を依頼していることは以前からこのブログで報告しております。
1階の全面改装と2階の断熱ということで何度か設計図が変わって、ようやく取り掛かることになりました。
ひとり暮らしで認知症予防のため、まちづくり活動に関わってきたことなどから、1階を近隣に開かれた家とすることになっております。
赤い服を着た女性が私の分身のイメージだとか。
私は子どものころから赤い服が似合わず
一度赤いハーフコートを買ってみたものの
ほとんど着ることはありませんでした。
息子たちが赤色のTシャツやユニクロを何かの折にプレゼントしてくれたりしたんですが、優しい母親は赤色が似合う人という
潜在的な願望があったりして・・・・・
あったので、私は目立ちたくないと思っていたようにも思います。
ところが・・・・
いまや目立たないといけない
と思うようになってしまって(泣
人生はわからないものですね。
段ボール箱入りであった私よりも
まだ生活の範囲が狭く、高齢になったら
お金さえあればお客様で過ごせる
みたいな感覚があったように思えたりします。
子育てが終わり、主人の介護が終わったとたんに、私の母も主人の義姉も次は自分の順番だみたいに考えたようでした。
自分の思うように老後を過ごしたいのでその設定をよろしく、みたいな。
青森や神戸に出かけるだけでも容易ではありません。長期間の留守もできにくいのですが、高齢になってくると相手の事情は想像できなくなっているようでした。
自分の要求通りに私が設定してくれると
思っていたのに期待が外れた・・・・
といったことが繰り返されたんですよね。しかしまた、長期間介護をしている方たちはもっと厳しい時間を過ごされているのだと思います。