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みいちゃんとみいちゃんのパパの日記

筑波山旅行 二日目

2024年02月16日 | 旅行

 筑波山に出かけた旅行の二日目です。

 

 ビジネスホテルの小さな客室ですが、2022年春にリニューアルされてとても綺麗で、びっくりするような小さな便器以外は快適でした。

 

 恒例の朝の散歩に出かけます。

 ホテルの名前が「湖北ホテル」というくらいで、霞ケ浦の北西岸にあり、新川という水路をつたって行くと、すぐに霞ケ浦に出られます。

 

 この新川から霞ケ浦にかけてはバス釣りの名所(下水道の処理センターからの温排水がある)らしく、すごい数の魚が集まってきています。オオバンやカワウ、カモメも嬉しそうに朝ごはんを食べていました。

 

 霞ケ浦にでると、そこはもう海としか言いようのない広さです。

 

 牛久の大仏も遠くに見えるそうなのですが、どれがそれなのかは確認できませんでした。

 

 さて、ホテルに戻って朝食です。一泊5,500円で1,000円相当の朝食もついていましたが、和食も充実していて(霞ケ浦名物の白魚もありました)すごくリーズナブルだと思いました。やっぱり茨城は物価が安いのかも。

 

 チェックアウト後、霞ケ浦の北沿いを利根川と並走するように通る国道354号を通って、霞ケ浦が一望できるという「歩崎公園(あゆみざきこうえん)」に向かいます。

 

 お城のような郷土資料館や水族館、森林公園などがありますが、結構昨日の筑波山登頂の疲れが残っていて、周りを少し探索するのにとどめました。

 

「帆引き船発祥の地」の碑が立っていました。
 帆引き船を使った帆引き網漁は、明治13年(1880)、シラウオ漁を目的に旧霞ヶ浦町の折本良平によって考案された。
 それまでは、大徳網という2~3隻の船を使い、20人以上の人手が必要であったものを個人操業の可能なものに変えた。これにより、網元中心の日雇いから、漁獲量にあった個人収入の道を開き、
沿岸漁民の生活安定に大きく貢献したとされる。
 その後、ワカサギ漁の主役として昭和42年(1967)までの約100年間、霞ヶ浦漁業の花形として一世を風靡したそうです。

 

 近くに「歩崎観音」があるというので、そこまで歩いて行くことに。ところが、これが結構きつい急坂を登ることになり、昨日の筋肉疲労が再び実感されました。

 境内の脇の階段を登ると、そこが景勝地「歩崎展望台」。

 

 霞ヶ浦の西方、土浦入(つちうらいり)と北方、高浜入(たかはまいり)とが一緒になる三叉沖(みつまたおき)の眺めは定評があり、茨城百景や茨城の自然100選の一つに数えられているとのこと。

 

 霞ケ浦はまだまだ見るところがたくさん残っているので、改めて訪れたいと思います。

 ここから霞ヶ浦大橋を渡り、延々と霞ケ浦を右に見ながら355号で南下します。もう一度、霞ケ浦の最東端にかかる北利根橋を渡り佐原に入ります。

 以前にも寄ったことのある「道の駅 水の郷さわら」で、恒例の野菜を仕入れました。
 入り口で、まるで通せんぼするかのように、能登地震の募金活動を4~5人の昔のお姉さんがやっていました。
 無理強いをしちゃいけませんよね。なんで、国が潤沢に財源投入しないのに、国民が税金のほかに義援金を払わなければならないのでしょうか?
 むしろ、「国はちゃんと援助をしろ」っていう示威行動をした方が共感得られるのではと思いました。

 このあと、食事ができないかと、少し走って香取市内の「やます風土村 」というところに寄ったのですが、主なメニューにラーメンしかなく諦めました。千葉県人はどんだけラーメンがすきなんだよ!!と改めて納得。
 ところで、そこで売っている野菜をみたら、佐原よりリーズナブルのような感じがして、やっぱり野菜を買うなら千葉だと思いました。

農産物直売所 やます蔵 風土村 | 千葉県の直売所 | 里の物語

 

 

 





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