日本の建築を調査していると、時々日本民族のルーツに関して、驚愕するような事実に辿りついてしまうことがあるのです。
今回は、神社の鳥居を研究しているうちに、日本民族がどこからやってきたのかが解明されたお話しを記させて頂きます。
まず、不思議に思ったことは、「神社の鳥居がなぜ赤いのか?」ということです。
そして「神社の鳥居は、なぜ、鳥が居ると書くのか?」ということでした。
最近は、石やコンクリートでできた鳥居もあるので、必ずしも赤い鳥居だけではありませんが、木造の鳥居は、ほとんどが赤いです。
この赤い色というのは、古代から日本では、『魔除け』の意味がありました。
誰かが亡くなると、その遺体を赤く染めることもありました。
そして、このような習慣は弥生時代以降に見られます。
また、これらの赤い染料は、水銀を使用していて赤い色を発色させます。
水銀を使用すると、水銀が地中の菌を殺菌するので、『防腐剤』の役目を果たします。
神社の鳥居の木材を守るため、『防腐剤』として水銀由来の赤い染料を塗ったと考えられます。
しかし、ただ、これだけの理由なのでしょうか?
色々と弥生時代の遺物を調べてみると、神社の鳥居のルーツを見つけました。
弥生時代には、村の入口に、その入口を示す門があって、そこには村を敵から守る兵士がいたのですが、その門に、何と鳥が止まっているデザインのものがありました。
どうやら、鳥居のルーツは、弥生時代の村の入口の門のようです。
ということは、鳥居の文化や水銀由来の赤い染料は、弥生人の文化ということになります。
この弥生人というのは、元々日本列島にいた人たちではありません。
弥生人は、大陸から日本列島にやってきました。
そして、それまで日本列島にいた縄文人を殺害し、日本列島を縄文人から奪ってしまった人たちです。
弥生人が日本列島にやってきた時期は、今から2000年以上前のことです。
しかも、何万人という規模で大陸から日本列島にやってきたのです。
これが今の日本人の先祖です。
当初、中国の世が乱れ、戦乱から逃れてきた難民が、弥生人だと思っていましたが、この時代の中国は、世の中が穏やかで、食料にも不自由ない時代でした。
したがって、弥生人は難民ではありません。
ということは、弥生人は、何か強い目的を持って、日本列島を目指してきたことになります。
その謎を解くカギが、神社の鳥居ではないか?
神社の鳥居を見ていると、どうしても、聖書の出エジプト記を思い出してしまいます。
今から約3300年前、エジプトで奴隷になっていたユダヤ人は、モーセに率いられて、エジプトを脱出します。
(この様子は、映画『十戒』1957年の作品にも、描かれています。)
その時、ユダヤ人の苦しい声を聞いた神は、ユダヤ人がファラオの軍隊から逃げられるように、色々と助けてくれました。
神は、ユダヤ人の民に告げるのです。
「家々の入口の柱と鴨居に、子羊の血を塗りなさい。」
そしてユダヤ人たちは、家の入口と鴨居を子羊の血で真っ赤に塗りました。
しかし、ファラオを含むエジプト人たちは、このようにはしませんでした。
神が差し向けた殺戮の天使によって、災いを受ける結果になったのです。
また神は、こうも告げたのです。
「あなたたちが、約束の地に入った時も、同じようにしなさい。」
その後、ユダヤ人たちは、様々な苦難の中で、神に導かれるままに『約束の地』を目指します。
この時のユダヤ人の人数ですが、成人だけで60万人以上いたと考えられています。
エジプトを脱出したユダヤ人たちは、中国までやってきたという公式な記録が残ってす。
しがたって、ユダヤ人たちは中国を経由して、日本列島にやってきたと考えてもおかしくないのです。
そのユダヤ人たちこそが、弥生人ではないかと考えています。
約3300年前にエジプトを脱出したユダヤ人が、何世紀も何世代もかけ、中国までやって来たあと、約2000年前には、約束の地である日本列島にたどりついたのではないでしょうか。
神社の鳥居が赤いのは、出エジプト記の際に、「ユダヤ人たちが家々の入口の柱や鴨居を、子羊の血で赤く染めた」という名残ではないでしょうか。
日本の神社がユダヤ人と関係している証として、考えられることがあります。
伊勢神宮の灯篭には、約3300年前にエジプトで使用されていた『蓮の花の文様』と、『ダビデの星の文様』が、一緒に使われていることです。
そして蓮の花の文様は、菊の紋として、天皇家が使用しています。
神社の鳥居が赤いことに疑問を持ち、様々と調べてみたら、日本人のルーツにたどり着いてしまいました。
建築は、歴史・考古学にも通じ、おもしろい学問だと思います。