えー、録画しておいたらいつの間にか最終回を迎えていた、なんてぇことがですね、「BDレコーダー」購入してから、
たまーーーに、あります。
で、
「…あれま、2週分観てなかったわ。」
てな感じで、
「じゃあ、一気に観るか」
という作品でもないのに、思わず観切ってしまったのが…
フジテレビ/ノイタミナ
「放浪息子」
であります。
原作/志村貴子さん。
「女の子になりたい」男の子、二鳥修一くんと、「男の子になりたい」女の子・高槻よしのさん。
この二人を中心に、同級生たち・隣人(大人の友達?)・家族が織りなす、不可思議でいて、妙に「普通な」日常。
…まぁ、「女装」「男装」「女の子になりたい」「男の子になりたい」「可愛いものが好き」「可愛い服なんて似合わない」
そして「倒錯劇」などの経路から、「同性愛」だの「性同一性障害」などの物語に捉えられるかと思いますが…
なんでしょうかね。
ワタシは、妙に「懐かしい物語」な気がしてならなかったんですね。
それがあまりに「日常的」だったからでしょうかね。
別に「特別な」能力があったり、ものすごく「浮世離れ」した話だったりもしない。
普通に道を歩いていそうな中学生が、日々いろんなことに悩んだり、つまづいたり、転んだり。
で、「自分が本当に自分らしく、自分の思う通りに生きたいと」思っても、それが良いことなのか、悪いことなのか、
よく解らない。
周囲に拒絶されるかもしれない。否定されるかもしれない。
「変」だと思われるかもしれない。
でも、自分を否定できない。
この年齢だと、「どういう形であれ」誰もが通る道なんじゃないかな、と。
まぁ、そういう意味での「懐かしさ」ですね。
多分、13~15歳てな、もっとも「自我」「自意識」に対して対峙する年頃ですから。
「自分がみる自分」「他者から見える自分」に対して、どう対応するか…
日々考えることなんか、そればっかりでしょう。
それがたまたま、自分らしくあるために、「女の子になりたい」「男の子になりたい」だっただけ、という。
まぁ、ワタシとしましては、「そういう話」にしか見えず、むしろ、全く「同性愛」だの「性同一性」などの「話」には感じられなかったのですわ。
どっちかといえば、「もし今、自分にこんな息子がいたら…」なんてぇことを考えたら、
「まぁ、それも個性だろーなぁ」
なんてコトを言いそうな気がしてなりませんでした。
(とはいえ、いずれは男の子として自立して欲しいとは思うんでしょうが…)
そういう意味では、重苦しくなく、ごく普通に、割と淡々と…それでいて、ありがちな「周囲の反応」もちゃんと踏まえてえがいていたあたり、割と評価していいんではないかな、という気がします。
ただ、なんというか、最終回まで観た感覚が…
「ぽわん」とした、というか、
「ぼんやりとした」というか、
ううむ、これで終わりなんだぁ…
という…
なんと言い表していいのか…
「印象的な終わり方」なんだけど、「印象的」でしかない、というか。
「あと一年経ったら、このコ達はまた違う現実に悩んで、また違う結論を出すかも知れない」ような…
そんな「日常の断片」だったのかなぁ、というイメージ。
…原作(漫画)ではどう描いているのかなぁ、というのに興味がありますな。
ちょっと、アニメの十数話では描けなかったのか、それとも、ホントに「印象だけ」に焦点を置いて作ったのか。
そこら辺、評価しづらいトコロではありました。
たまーーーに、あります。
で、
「…あれま、2週分観てなかったわ。」
てな感じで、
「じゃあ、一気に観るか」
という作品でもないのに、思わず観切ってしまったのが…
フジテレビ/ノイタミナ
「放浪息子」
であります。
原作/志村貴子さん。
「女の子になりたい」男の子、二鳥修一くんと、「男の子になりたい」女の子・高槻よしのさん。
この二人を中心に、同級生たち・隣人(大人の友達?)・家族が織りなす、不可思議でいて、妙に「普通な」日常。
…まぁ、「女装」「男装」「女の子になりたい」「男の子になりたい」「可愛いものが好き」「可愛い服なんて似合わない」
そして「倒錯劇」などの経路から、「同性愛」だの「性同一性障害」などの物語に捉えられるかと思いますが…
なんでしょうかね。
ワタシは、妙に「懐かしい物語」な気がしてならなかったんですね。
それがあまりに「日常的」だったからでしょうかね。
別に「特別な」能力があったり、ものすごく「浮世離れ」した話だったりもしない。
普通に道を歩いていそうな中学生が、日々いろんなことに悩んだり、つまづいたり、転んだり。
で、「自分が本当に自分らしく、自分の思う通りに生きたいと」思っても、それが良いことなのか、悪いことなのか、
よく解らない。
周囲に拒絶されるかもしれない。否定されるかもしれない。
「変」だと思われるかもしれない。
でも、自分を否定できない。
この年齢だと、「どういう形であれ」誰もが通る道なんじゃないかな、と。
まぁ、そういう意味での「懐かしさ」ですね。
多分、13~15歳てな、もっとも「自我」「自意識」に対して対峙する年頃ですから。
「自分がみる自分」「他者から見える自分」に対して、どう対応するか…
日々考えることなんか、そればっかりでしょう。
それがたまたま、自分らしくあるために、「女の子になりたい」「男の子になりたい」だっただけ、という。
まぁ、ワタシとしましては、「そういう話」にしか見えず、むしろ、全く「同性愛」だの「性同一性」などの「話」には感じられなかったのですわ。
どっちかといえば、「もし今、自分にこんな息子がいたら…」なんてぇことを考えたら、
「まぁ、それも個性だろーなぁ」
なんてコトを言いそうな気がしてなりませんでした。
(とはいえ、いずれは男の子として自立して欲しいとは思うんでしょうが…)
そういう意味では、重苦しくなく、ごく普通に、割と淡々と…それでいて、ありがちな「周囲の反応」もちゃんと踏まえてえがいていたあたり、割と評価していいんではないかな、という気がします。
ただ、なんというか、最終回まで観た感覚が…
「ぽわん」とした、というか、
「ぼんやりとした」というか、
ううむ、これで終わりなんだぁ…
という…
なんと言い表していいのか…
「印象的な終わり方」なんだけど、「印象的」でしかない、というか。
「あと一年経ったら、このコ達はまた違う現実に悩んで、また違う結論を出すかも知れない」ような…
そんな「日常の断片」だったのかなぁ、というイメージ。
…原作(漫画)ではどう描いているのかなぁ、というのに興味がありますな。
ちょっと、アニメの十数話では描けなかったのか、それとも、ホントに「印象だけ」に焦点を置いて作ったのか。
そこら辺、評価しづらいトコロではありました。
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