凡そ、平凡。-ohyoso,heibon.

副業的サラリーマンの競馬バカが、そんなコトとは全く関係なく、日々のうつらうつらしたことをあーだこーだと語る、趣味の駄文。

どんな名優も、子供と動物には勝てない。

2012年03月30日 | 映画
てなことを、よく言われます。

まぁ、これは本当。

阿部サダヲが新境地ドラマに挑んだところで、真菜ちゃんや福君に勝てないのと一緒…か、どうかはわかりませんが。

ホント、今回のお話はまさにそういうコト。

「戦火の馬」。

ええ、観て来ましたよ。
観て来ましたともさ。

あの「スティーヴン・スピルバーグ」が、メガホンを執った「馬映画」。
観ないわけがない。

…っていうほど、昨今スピルバーグ氏の映画を観ているわけではありませんが…
まぁ、「エンターテイメント映画の神様的存在の方が、満を持して撮る馬映画って、どんなモンなんだろか」

これはね、大いなる興味でした。


で、…結論から言いますと。


まだ余韻が残ってます。
当分、抜けないでしょう。

久々にね、数回、涙腺が緩んで「ヤバイな」と思った瞬間がありました。

で、そのシーンを思い起こすと…。


全部、馬のシーン。


どんだけ馬好きなんだよ、オレ。


少年アルバートは、ある日馬の出産に立ち会う。
感動的なその瞬間に見とれてしまった彼は、その後も、その「鹿毛の仔馬」を忘れる事が出来ない。
その後、小作農家を営む父が、馬の競売から帰ってくる。
農耕馬を買う筈だった父は、一頭のサラブレットに魅了され、思わず地主と張り合って競り勝ってしまった。
それが、少年アルバートと、この物語の主人公「ジョーイ」との、運命的な再会だった。

飼うことに猛反対した母は、アルバートの情熱的な説得に負ける。
熱心にジョーイを調教するアルバート。
アルバートの深い愛情に応えるジョーイ。
少年と馬の絆が深まってゆくが、ここで第一の試練が。

地代が払えないことを理由に、「立ち退くか、馬を売るか」を迫る地主。
「もしあの馬が土地を耕せるならば」を条件に、秋までの猶予を与えるが、サラブレットとして生まれたジョーイには、絶望的な条件。
買ったことを後悔し、ジョーイに銃口を向ける父の前に、アルバートが立ちふさがる。
「僕が鍛える。ジョーイに畑を耕させる」と。

何度も倒れながら、くじけそうになりながらも、アルバートは諦めずにジョーイを鍛えようとする。
そんなアルバートに、ジョーイが応える時が…。

荒れ果てた土地を、農耕具で耕したアルバートとジョーイ。
父は、黙ってその畑に種を蒔く。

収穫の秋を控え、畑はカブの豊作。
ところが…。

嵐が全て押し流してしまう。
何もかも失ってしまいそうな絶望の中、…
第一次世界大戦開戦の知らせ。

父は、借金返済の為、ジョーイを軍に売ることとした。
アルバートはそれを止められないと察すると、自分も軍に入ろうと志願するが、まだ兵役の年齢に達していない。
これが、第二の試練。
その場にいたニコルズ大尉は、アルバートの気持ちを察し、「必ず無事に連れ帰る」こと、自分の乗馬として大事に育てることをアルバートに約束する。

ジョーイは戦地に赴く。

そして、これが果てしなく続く逆境と奇跡の始まりでもあった。




まぁ、さわりとしてはこんなもので良いでしょうかね。

えー、まだ上映してますんでね、ネタバレ的な…って、

実際、かなり昔の小説の映画化で、海の向こうで舞台化されてトミー賞まで受賞しているお話で、しかも、その舞台をスピルバーグ氏が観て「映画化」を熱望した、ってぇ話ですからね、まぁ、結末まで語っても良いのかもしれませんが…。

いや、勿体ない。


ともかく、「どーやったら撮れるんだこの映像は」というシーンの連続。
そして、長年「競馬」を観ているワタシですら、改めて「馬って、こんなに美しくて、愛おしくて、そして儚くて強い動物なのか」と…
いや、大袈裟な話でなく。

ホントね、「馬が好きであれば、是非お薦めする」映画であります。


…って、かなり断片的な感想になっちゃってますがね。

何がスゴイって、「馬が演技している」つうことが。
そして、「明らかに馬が主人公である」という描き方が。
素晴らしい。

例えば、大ヒットした馬映画に「シービスケット」があります。
日本では「優駿」とかね。
でも、あれって、結局、「馬に携わる人々の物語」であることは拭えないわけです。
なもんで、僕的には「シービスケット」は好きですが、結局、「アグネスデジタル」のDVDの方がより感動できたりする。
明らかに「馬が主人公」な作品に、「レーシングストライプス」という作品があります。
あれはね、面白い…かなり。
でも、あくまで「擬人化されたシマウマ」なわけです。

しかし、この作品の主人公ジョーイは…
全く台詞なんかない。…まぁ、当たり前ですが。
仕草も行動も馬そのもの。…まぁ、当たり前。

でも、なにか、「感じるもの」がある。伝わってくる。
ここら辺の、「馬の表情の描き方」が素晴らしい。

もうね、泣けてくるんです。

それが、ジョーイ役の馬だけでなく。
長く苦しい旅を共にする僚馬・トップソーンも然り。
絶望的な死地へ向かう馬の群れ達も然り。
なんでしょうね。
決して「人間達の演技」がどうの、ではなく。
いや、むしろ素晴らしいんだけど…
それでも物言わぬ馬達の演技に勝てない。

ホント、どーやって撮ったんでしょーね、これ。

もー、それが不思議でなりませんでしたよ。


えー、…観ている間に、結構勝手に「台詞」を思い浮かべていました。
さながら、荒川耕さんの「うままんが」のごとく。
まぁ、あんなにほのぼのとはしてないんですけど。

そして思ったのが…

「長いコト馬を観ていて良かった」と。

ワケのわからん結論に達しました。


えー、「ブエナビスタのジャパンカップに感動した」アナタ。
「ヴィクトワールピサのドバイWC」に希望を感じた方。
「海外での、スマートファルコンの活躍」を、期待してやまない方。
そして、「阪神大賞典でのオルフェーヴルの逸走」に大爆笑したアナタ。

是非、「春のクラシック」が始まる前に、この映画を観ること、お薦めします。

…って、もう1週間ちょっとですけどね、桜花賞まで。


「一回しか言わないからよぅく聞け、」。

2012年03月10日 | 映画
てなわけで、映画づいております昨今。
・・・つうか、以前とペース的にはあんまり変わってないんですけどね、月2本ぐらいですかね。

3月に入って最初に観た映画。
あとは、「戦火の馬」を今月中になんとか観よう、と。
そんな訳です。


「LIAR GAME REBORN~再生~」
でございます。

最初のテレビシリーズはね、リアルタイムで観ていませんで。
再放送でしたね、確か。
映画やるっつうんで、ファーストステージとセカンドステージを深夜時間帯に一挙放送していたような…
確か、それで観たんですわ。

で、2010年の映画はファイナルステージ。

ここで、「バカ正直の直ちゃん」の戦いは終わりました。
ライアーゲーム事務局も、事実上壊滅。

ただ、結局のところ、事務局の全容なんかが見えたわけでもなく、現場に出てきた人々も、ただ「使われているだけ」の人々だったわけで、
そも、「ライアーゲームって何?」
というのは、やはり、謎。

そして、2年。


3月。大学卒業を迎えたごく普通の女性・篠宮 優。
ある日、彼女の元へ、ライアーゲーム事務局より「招待状」が届く。
勝てば大金持ち・負ければ一生かけても返せない負債。
そして何より…
「棄権出来ない」。
その恐怖から、彼女は自分の母校で講義をしている心理学者・秋山深一に助けを求める。
しかし、彼は一言、
「そんなのは無視すればいい」。

しかし、ゲーム当日。
彼女は事務局の人間によって連れ去られ、強制的ゲーム参加を強いられる。
絶望的な状態でゲームが始められようとする中、

再び、秋山が「ライアーゲーム」会場に足を踏み入れた。


とまぁ、実際、話の筋は非常に簡単。
作りとしては、テレビシリーズ2本と前作映画までを、一挙に一本の映画にした感じです。

そういう意味では、ある程度予備知識があれば、まぁ、初めてでも安心、てなくらい、解りやすく作られております。
多分、秋山の敵となる出場者達、これまでで最も弱い。
しかし・・・。

案外、「見た目」苦戦を強いられる。

そのカギは・・・。

要するに、「バカ正直の直ちゃん」ではなく、「ごく普通以上に温室育ちの優ちゃん」が話のパートナーである、ということ。

普通の「良い子」であれば、この状況に置かれたらこうなるだろう、というそのまんまの行動にでますが・・・
これが、秋山に苦戦を強いることになります。

…てぇか、それも計算なのか?

ホントに計算してるのか?

大丈夫なのか?

そういう話です。


個人的には単純に楽しめました。
まぁ、個性あるキャラクターが完全に「ワキに」まわってる分、演出上のパンチの弱さは否めませんが。
まぁ、それでも最後までどうひっくり返すのか、解らないような作りになってます。

要するに「勝ちたいと思えば思うほど、案外勝ちから遠ざかっていくものなのよ」というマーフィーの法則的物語。

それこそ、「直ちゃん」がいれば楽勝だったかもしれません。
そういう話です。

なんか、評価してるんだかしてないんだか。

ただ、正直「続き」として観るよりは、「外伝」として観た方が良い気がします。
この後を期待するのも微妙、でしょう。