「スピッツのボーカル・草野マサムネさん、ストレス障害で倒れる」
たまにはこういうことについて書こうかと。
なんつうんですか、これが「草野さん」じゃなくても書いたかな、と思います。
ええ、この報道読んで思いましたよ、ワタシ。
「だから言わんこっちゃねぇ、日本のメディアってぇのはどこまでおバカさんなんだ」
と。
あれから2週間。
震災被害・電力不足・原発問題と汚染被害。
そりゃね、忌々しき問題ですよ。
考えて、立ち向かわなきゃいけない。
力を合わせなきゃいけない。
そりゃそうです。
われわれ、みんな生きていかなきゃいけないんですから。
でもね。
あの震災から最初の1週間。
メディアは「震災以外の報道」を全く流さなかった。
テレビをつければ必ず「避難民」「震災地」が移し出され、「死者の数」「行方不明者の数」がカウントされ、
そして、震災についての講釈やら解説が流され、
「国は?」「政府は?」「東電は?」などなど…
「なんだよ、また同じ内容かよ」なんて思っても、やっぱりこういうものはじっと見てしまう。
そして、「震災自体」を追体験・反復するわけですよ、見る側は。
そして、次の1週間の「原発問題」。
「危険」「安全」「避難」「大丈夫」「誤報」「予断を許さない」「でも大丈夫」「でも基準値を遥かに超えてる」
こんなことが毎日繰り返され…
挙句の果てが、「風評被害に惑わされないで、落ち着いて行動して」…?
これはストレスになりますよ、見る側としては。
さらに、「そんなつもりはなくても、実は不安を煽っている」公共広告機構のCM。
「がんばろう」「みんな仲間だ」「一人じゃない」「がんばれ」「一人一人が、できること」
ポジティブな発言の裏にはっきりと見える、ネガティブな現実。
…ワタシ、最近、他のCM見るとホッとします。
今は国中が「悲惨な現実」に立ち向かわきゃならない。
それはね、ワタシもわかります。
正しいことだと思います。
「何か出来ることを」
それはね、ワタシもやらなきゃいけないと思いますし、微力ながら実践しております。
でもね、「被災」以外にも「2次災害」が起こる。
これは予期すべきことだったんじゃないかと。
例えば、あの地震以来、ちょっとした「揺れ」にも敏感になって、不眠症になっている、とか。
「水」を見ると、「汚染」を想起してしまう、とかね。
「がんばれ」って言葉に、妙な嫌悪感を感じる、とかね。
「物がない」ってことに、異常なほど不安感を持ってしまう、とかね。
ネット中毒になってしまった、とかね。
最近、うなされて目が覚める、とかね。
これ、所謂「心因的外傷性ストレス障害(PTSD)」ってぇヤツの症状。
本来、「実体験した方」がかかるものですが…
今回の震災…そしてそれに対するメディアの対応からすれば、…
こりゃ、充分、「テレビ画面」「ネット画像」からヴァーチャルでかかる方がいてもおかしくないかな、と。
あまりに無造作。
あまりに垂れ流し。
「事実を報道するのがメディアの使命であり社会的責任」なんてぇ言いますが…
配慮に欠けるその方法は、あまりに無責任ではないか、と。
まぁ、政府広報にも同じことが言えるんですけどね。
震災が起きたその次の日、実際に体験したお笑いコンビ・サンドウィッチマンがおっしゃってましたが…
「携帯のテレビだけを唯一の娯楽・情報取得端末としている、被災地の方々が、自分たちの置かれている現状ばかり毎日見せつけられて、気持ちが前向きになる訳がない」
…そりゃそうだわ。
そして、それと同じ意味で、日常的に「間接的被害」を拡大させているかも知れない。
こういうことに配慮できなくて、なんの「正義」なんだか。
計画停電で懐中電灯やら蝋燭の火の中、やはり「携帯のテレビ」だけで過ごして御覧なさい。
そこにきて、「1000万倍の放射線検出」なんてぇ報道ばかりが流れたら…
…これ、やっぱり「ヴァーチャル体験」になりますよね。
報道はすべきです。
正しいコトは伝えるべきです。
でも、それがどういう影響を与えることになるか。
それを考えたうえで報道しているのか?
そこが大事です。
人間の心は「言い易い」言葉じゃ癒されません。
それを解った上で行動しろよ、と。
知ってますか?
「”うつ病の人に”がんばれ””がんばろう”は禁句」
ってぇ話。
そういうことも含めて、考えなきゃいけない。
現状、そういう局面なんじゃないかと。
難しいことではあります。
でもね、だからこそ。
「笑いましょう。どんな時でも、笑っていましょう」
この程度で行きませんか?
最近、ワタシはそう思ってます。