かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠143(ネパール)

2015年07月05日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子の外国詠 (2009年4月)【ムスタン】『ゆふがほの家』(2006年刊)88頁
        参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
         レポーター:T・H
         司会とまとめ:鹿取 未放


143 標高三千に稲の道あり不可思議の情熱のごと稲は稔れり

     (レポート)(2009年4月)
 「稲の道」これは遠くベトナムから標高三千メートルの高地・ムスタンまでずっと続いている稲作りの道である。通常では考えられない寒冷地での稲作である。それが近藤翁の情熱に応えるように稔ったのである。そこに馬場先生は、通常の人間の情熱を超えた神の恩恵・采配を感じられたのかも知れない。「不可思議の情熱のごと稲は稔れり」にそのお気持ちが現されているように思う。(T・H)

     (まとめ)(2009年4月)
 稲の起源についてはインド、中国など様々な説があるようだし、「稲の道」についても複数のコースが考えられているらしい。しかし、ここで馬場が使っている「稲の道」は、そういう厳密な学問としての考察ではないだろう。近藤亨氏が標高三千の荒れ果てた高地に稲を稔らせたのは、はるか何千年もの間にたどった「稲の道」ではない。ルートを外れた人工の強引な技の結実であり、それは貧しい土地の人たちに何とかして豊かな稔りを届けたいというひたすらな情熱の結果である。それを讃えて、ここにも稲の道があるよと作者は言っているのだろう。新潟大学等で果樹の専門家だったという近藤氏がリンゴやメロンを稔らせたのは分かりやすいが、稲については大変なご苦労があったようである。(鹿取)


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