かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠155(ネパール)

2015年07月01日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の外国詠(2009年7月)【ムスタン】『ゆふがほの家』(2006年刊)92頁   
            参加者:泉可奈、T・S、T・H、渡部慧子、鹿取未放
            レポーター:渡部 慧子
            司会とまとめ:鹿取 未放

 *「カナジーの物見遊山」というサイトで、近頃、ヒマラヤの山々の写真を見ています。同じ山
  でも時刻や場所を変えて撮影されていて、すばらしい写真です。マチャプチャレ、ニルギリ、
  ダウラギリ、アンナプルナなどの他にもネパールの有名な山々が満載です。詳しいデータや旅
  行記も付いていて現地に行った気分にさせてくれます。またネパール以外にも世界各国の山々
  や文化遺産が載っていてすばらしいサイトです。皆さまもよかったら一度覗いてみてください。
      http://cannergy.la.coocan.jp/theme/mt/mt3.html#Machapuchare
                                     

155 マチャプチャレ鯱鉾のやうに空に跳ね一期を問へば空哄笑す

       (レポート)(2009年7月)
 マチャプチャレとはネパール語で魚の尾という意味。そのマチャプチャレが「鯱鉾のやうに空に跳ね」のとおり、今、跳ねているので、そこをとらえ作者はこころみにもの申してみた。「一期を問へば」のである。小さな存在の果敢な問いを「空哄笑す」というように、空が呵々と笑ったというのである。マチャプチャレと作者の問答は成立せず、ただ無辺の空に包まれていたのだ。
 魚好きでその名の漢字表記に興を得ていよう。以下2首は、馬場あき子の「魚」の漢字を使った歌。
   秋の日の水族館の幽明に悪党のごとき鰧を愛す
   海驢(あしか)棲みし洞窟二百メートルの暗黒に入る入りて声なし
                                    (慧子)

     (意見)(2009年7月)
★そんな人間の小さな一生なんて俺の知ったことかよと、空が大笑いした。(T・H)


       (まとめ)(2009年7月)
 誰が誰に聞いたのだろう。関連するが誰の一生なのだろう。一応、次のような場合が考えられる。(何か、入試問題のようだが、4択です)

 ①マチャプチャレが、自分の一生について空に尋ねた。
 ②作者が、自分の一生について空に尋ねた。
 ③作者が、自分の一生についてマチャプチャレに尋ねた。
 ④作者が、マチャプチャレの一生について、空に尋ねた。

①と考える理由は、直前の「空に跳ね」の部分の主語がマチャプチャレだからだが、悠然と空に  跳ねるマチャプチャレが自分の一生について空に尋ねるなどということはしないだろうから×。
②は、T・Hさんの意見を反映している。とても魅力的な意見で、かなり加担したい気分だ。
③は、①同様マチャプチャレの行為を受けて続く部分だからだが、マチャプチャレに尋ねたのに空 が哄笑したのは、やや繋がりが悪い。もちろん、空が問答を耳に挟んだという解釈も捨てがたい が。レポーターは、そういうつもりで書かれているのだろう。
④は、①に似ているが、悠然と空に跳ねるマチャプチャレが自分の一生を思い悩むこともなさそう だ。154番歌で「雄々しきマチャプチャレ」「われを閲せり」と讃えている作者が、そのよう な設定はしないだろうから、×。
 そんな訳で、参加者の意見は分裂し、結論は出せなかった。私自身の意見は②と③の折衷案。つまり雄々しく悠然と空に跳ねるマチャプチャレに、「あなたのように悠久な山と比べて私の一生はなんなんだろうね」とふっとつぶやきが漏れてしまったら、耳ざとい空がそれを聞いて大笑いした。まさに「人間の小さな一生なんて俺の知ったことかよ」というわけである。この解釈の難点は、つぶやきというには「問えば」の語が強い点である。(鹿取)